HIU公式書評Blog

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堀江貴文イノベーション大学校(通称HIU)公式の書評ブログです。様々なHIUメンバーの書評を毎日更新中。

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【書評】どう死ぬかを選ぶ時代に来ている―『納得できる最期のために「在宅死」という選択』

 

家でも死ねる。誰もが死ぬという現実の中で、独居、いわゆるおひとりさま、であっても、家族がいても、死に場所は自分で選ぶことができるという強いメッセージに満ち溢れている。

千葉県八千代市にて在宅診療支援診療所を開業し年間100名以上の方の最期を看取っている在宅医療専門医の初めての著書。著者が大学時代に在宅診療に触れたときに、その経験が著者の医師としての人生を大きく変えたそう。医療は病院でしか行われないのではなく、生活の場にも溶け込むことができるということ。この目から鱗の経験から現在に至るまで著者は在宅医療の現場に立ちながら「逝き方=生き方」の啓蒙活動を行い続けている。

一体どれだけの人が、どう死にたいか?と考えたことがあるだろうか。
ひと昔前までは8割の人が自宅で亡くなっていたが、今は病院で亡くなることが当たり前になっている今日この頃。医師に意見を言ってはならないと思っている人が多いのではないだろうか。著者はたとえ医師であっても最期を他人に任せるべきではないと話している。健康な時から死に方を考え、身近な人とその気持ちを共有する、この過程こそが未来・現在・過去へと自分の生き様を考えることにつながっていく。著書の中では実際に在宅死を選んだ方々の生の声が収録されている。葛藤されながらも選んだ在宅死、もしくはその結果選んだ在宅以外における死についても、本人も残された身近な方々からも後悔は感じられない。

また、おひとりさまの在宅死について書かれていることも興味深い。家族や介護者がいないと病気を抱えながら自宅での生活は困難と思いがちだが、訪問診療医や訪問看護介護保険を利用してチームを作ることによっておひとりさまの在宅死が可能になるのである。この20年で在宅における医療は劇的な進化を遂げている。自分で選んだおひとりさまの在宅死は孤独死では決してない。

生き方を選ぶことができるのであれば、同様に死に方も選択できる。
死から逃れることはできない。だからこそ死に方を選ぶ過程がその方の人生そのものを表現し、死後その人生をより輝かせるのかもしれない。死を迎える恐怖心が和らぐ本である。

 

「在宅死」という選択~納得できる最期のために

「在宅死」という選択~納得できる最期のために

  • 作者:中村 明澄
  • 発売日: 2021/03/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

【書評】東京ディズニー誕生と昭和エンタメとおもてなし『「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た日』

 

「万博のスタッフは全員読め!」

 こんなセリフが出た動画があった。なぜそう言われたかというと、その本がおもてなしの心が書かれた本だからである。おれは、温泉旅館の様なおもてなしが大好きなので、読んでみたら面白くて一気読みしてしまった。

 内容は、日本にディズニーを呼ぶための史上最大のプレゼン、そのプレゼンをした堀貞一郎、その師匠の小谷正一、ウォルト・ディズニーの話。

【史上最大のプレゼン-ディズニー招致対決-】
 ディズニーを日本に呼ぶときに、三菱と三井でプレゼンバトルがあったのを初めて知った。そしてディズニーを作る場所も、三菱は、富士山麓、御殿場近くの富士スピードウェイ周辺、三井は、浦安だった。

 三井側のプレゼンがすごかった。簡単に言うと「やれることはすべてやる」ということ。

【プレゼンの最初に心を掴む】
 プレゼン最初は、アメリカから来た日本語のわからないディズニー首脳陣に対して、あえて日本語で大きな抑揚、身振り手振りで話す。「日本語がわからないのになんで言ってることがわかるんだ!!」と首脳陣の心を掴んだ。プレゼンをした堀貞一郎のとっさのアイデアだった。

【おもてなし祭り】
 ディズニー首脳陣が、東京、帝国ホテルから浦安までの移動する際は、豪華バス、振袖姿のコンパニオン、首脳陣が注文する飲み物が全て出てくる小さな冷蔵庫(マジックボックス)、日本食に飽きたころに「時を忘れるステーキランチ」でおもてなし。浦安までの時間を楽しく短く感じさせる。

 浦安市役所前では、市長、職員が横断幕で出迎えて、アメリカ国旗を持った子どもたちがバスを囲んで歓迎する。これは、ディズニーがアメリカ国内でリゾート計画を進める際、地元の反対で中止になったことがあり、そのような心配をさせないためのはからい。

 ディズニー建設予定地に着くと、3台のヘリコプターに乗ってもらい、東京駅へ。さらに東京-浦安間の距離を短く感じさせる。そして、新宿にある、当時日本一の高さの三井ビルも見てもらい、「このビルを作った三井が日本にディズニーを作ります!」と話す。

 浦安案の弱点は、海の汚さ。プレゼンの数日前から海岸のゴミ拾いも行った。

 この結果、ディズニー側は何の質問も無く、三井に決めたという。

【やれることはすべてやる】
 心配事に対してやれることを全てやり、強みをいろんな形でアピールし、喜んでもらえることをすべてやり尽くした。そのための事前調査も徹底的。自分たちの強み弱みだけでなく、聞く側がどんな人たちでどんなことが好きでどんなことが心配なのかも、綿密に調査し尽くしている。素晴らしいおもてなし精神。

【テレビが始まる時代からのエンタメを作った人々】
 プレゼンの話の次は、プレゼンをした堀貞一郎、その師匠 小谷正一の物語が続く。彼らは、テレビ誕生の時代からいろんなエンタメを手がけてきた。百貨店の絵画展の草分けだったり、大阪万博を手掛けたり、球団を作ったり、いろんなエピソードが手でくる。日本のエンタメ誕生の話がたくさん出てきてとても面白い。

 特に、小谷正一は、「人の心を掴む天才」「インテリヤクザ」と呼ばれていた。いつも人を褒めて、時には「ハッタリかましたれや!」と怒鳴って、人をその気にさせた。人をしっかり喜ばせつつ、日本を元気にするためにいろんな事業の実現に情熱を燃やした。

新しいものへの興味、アイデア、夢を実現させる情熱。昔の話と言っても、本質は今と変わらない。

アメリカのディズニーを見た人全員が夢を見る
 後半は、元祖ディズニーの誕生、三菱三井プレゼン後の東京ディズニー建設までの奮闘が描かれる。

 ウォルトがディズニーランドは作るキッカケは、いくつかあり、その一つはディズニー映画上映のため、デンマーク コペンハーゲンにあるチボリ公園を訪れたとき、行き届いたサービスと清潔さに感激。アメリカの遊園地を訪れたとき、その落差に落胆したときでもあるという。

 この章でも語られているが、結局エンタメは尊敬を前提としたパクリの繰り返し、と言っている。だから、テーマパーク最高峰のディズニーも、何かをもとに出来ているということだ。なので、いろんな情報を取り入れて、体験していくことはとても大事なこと。

 そんなディズニーがまだ日本に無い頃、アメリカのディズニーランドを訪れた日本人たちは、「日本にディズニーができたら夢のよう」と思っていた。プレゼン後も、本契約までの間、反対派と推進派の攻防が続いたが、夢を実現させる情熱を持った人々の奮闘で建設へ向かう。ディズニーオープンのシーンでは、奮闘した偉人たちが泣いていて、すごく感動的だった。

【まとめ 歴史を学ぶことの大切さ】
 昭和のエンタメを生んできた人々の生き様は、今の時代にとってのとても学びがある。新しいエンタメを広めるためにはどうしたらいいか。ゼロからではなく、歴史や体験、情報がそれを助けてくれる。

 そして、何かを実現するために、人を動かすために、全力のおもてなしをする。その精神はいつの時代も変わらない。とても良い本に出会った。読み応えあった!紹介してくれたノザピに感謝!

 

 

 

【書評】下には下が居ると思えば何でも出来る『人生、死んでしまいたいときには下を見ろ、俺がいるー村西とおる魂の言葉』

 

著者の村西とおるは、AV監督として有名。
本書は、その村西とおるの生い立ちや経歴と共にどん底に落ちて這い上がった人間の力強い生きる名言を集めている。
ビニール本や裏本やAVで富を築いたが、猥褻図画販売容疑で指名手配そして逮捕。
釈放後、ハワイでAV撮影中、旅券法違反としてFBIに監視そしてピストルをこめかみに突きつけられて逮捕、懲役370年。
弁護士などを経て総額1億円かけて釈放。
それから国内でAV撮影して再び一躍。
しかし、衛星放送事業に手を出してしまい失敗し、倒産そして借金50億円を抱える。
月々8000万円の返済の為に、知り合いの目の前で眼から血を流す程頭を下げまくったりして、自己破産せずに返済。
しかし、心臓に穴が空いてしまい、医者から余命1週間と宣言されてしまう。
手術を否応なしに受けたものの、失敗。
とは言え、激しい運動をしなければ生きる事が出来ると、知り合いの医療従事者から救いの言葉を受けて今に至る。

まず、日本人にとって友人間でも家族間でもお金子貸し借りをするなと昔から叩き込まれている。
だが、その正体は、プライドなのかもしれない。
友達や家族にお金を貸してくれとお願いする事自体、辛かったり恥ずかしい気持ちが前面に出てしまう。
僕が前働いていた会社の同僚から、よくお金貸してと頼まれていました。
毎回返してくれるだけでなく、僕のSNSの投稿には真っ先にいいねを押してくれてます。
それは今も続いてるのですが、別にいいねを押せとは頼んではないのですが、やはりいいねを知り合いの方から押してもらえるとお金以上の嬉しさがあります。
尚、村西とおるは前科7犯でも有名です。
FBIに連行とかでは無いのですが、歩いていたら警察官5人にガシッと手を掴まれて交番に連行された事はあります。
罪状は、迷惑防止条例違反で、口の中のヨダレを採取されブラックリスト入りされてるんでしょうね。
まぁ花火大会の時に浴衣の女子の肩を触った程度ですが。
身元引き取り人として、僕のお父さんが交番へ頭を下げて僕を連れ帰った事もハッキリ覚えています。
村西とおると比較すると、僕の前科なんて蚊に刺されたどころか蚊を見つけた程度のしょうもない罪状なんでしょう笑
そんなしょうもない罪状を受けた僕が街をぷらぷら歩いていても、そこら辺を歩いている人は何も興味を示しません。
前科7犯の村西とおるが歩くと背中に指さされて『借金借金笑』と煽られる始末。
そんな村西とおると比べると、前科1犯だろうと2犯だろうと大した事じゃないでしょう。
余命1週間を宣告された村西とおるは、睡眠薬を飲まないと眠れない程悩んでいました。
余命云々は言われた事ないですが、一生薬漬けになるかもしれんから覚悟しろと去年の夏かかりつけの先生に言われた事が僕にはあります。
新型コロナウイルスが可愛く見える程厄介なB型肝炎ウイルスにかかってました。
まぁフィリピンでコンドーム無しで一発だけ生ハメしたのがマズかったんでしょうね。
病状をググってみると、深刻な状況に陥ると前述の通り国から補助金貰いながらになるけど、治るのがかなり難しくなる厄介な肝臓の病気です。
それを知った僕も寝付けない夜が続いてました。
まぁ医療技術も進歩しており、毎日点滴をプスプス刺して安静にしておいたら、B型肝炎ウイルスへの抗体が出来ており肝臓の数値なども正常になりました。
また、100円玉1枚出すのすら苦悩する人ですら信用する人が居る。
恥というプライドを叩き捨て自分がやりたい事に情熱を注ぎ込んで行動する人は、やはり人を惹きつける何かがあるのも間違いないです。

 

 

【書評】値引きの連鎖から始まった全員経営『孤高の挑戦者たち』

 

製造業から商社へ、さらに再び製造業への転換を果たした数少ない企業である鍋清。創業明治10年で140年以上の歴史がある会社ですから、戦争やバブル崩壊などの急激な外部環境の変化や、技術のコモディティ化による経営の圧迫が次々とやってきます。度重なる危機を乗り越えてきた理念と経営戦略がばっちりと書かれています。

タイトルが孤高となっているので、社長のワンマンパワーでなんとかしてきたような印象を受けますが、実際の軌跡はそれとは真逆。言うなれば全員経営を実現させて、1人1人が自分の頭で考えて経営に参画していることがとてもよく伝わってきます。時代の変化を捉え、決して翻弄されることなく決めたことをやり続ける・やり抜く姿は、今の時代でも決して忘れてはいけない経営姿勢だと教えてくれたと思います。

一番興味の惹かれた点は"商社のものづくり"はうまくいかないというジンクス。会社には根底に根付いたマインドがあり、商社には商社の、サービス業にはサービス業の、製造業には製造業の理念が奥底にはあるのでしょう。その軸を少しでも外れた事業は失敗していく。儲かるからと手を広げていった末には、一時的な需要を刈り取ったら後が続かないという焼き畑経営が待っています。興っては立ち消えていく会社では誰も幸せにできません。ビジネスの本質を掴み取っている企業が生き残る、体験を基にした解説がとても分かりやすい。

持続可能な事業と継続的な社会貢献。そして何より、自分たちで決めた市場選択が及ぼす社員のモチベーション。人間は他人に決められたことはやりたくないが、自分で決めたことはやり抜きたいと思うもの。それが徐々に成果が出てきたら楽しくて止まらない。経営理念としては珍しい全員経営が浸透したら、こんなにも素敵な会社になるんだなと再確認させてくれた一冊です。

 

孤高の挑戦者たち 明治10年創業、ベアリング商社が大切にする経営の流儀

孤高の挑戦者たち 明治10年創業、ベアリング商社が大切にする経営の流儀

  • 作者:加藤 清春
  • 発売日: 2020/12/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

【書評】傷を自分の一部にする。『大切な人を亡くしたあなたに知っておいてほしい5つのこと』

 

「金継ぎ」といわれる日本の伝統技法がある。割れたり、ひびができて使い物にならない陶磁器を、愛でるように漆でつないだ後、金粉で装飾を施す。治すというよりは、むしろ傷を強調するような修復方法である。そうして金継ぎされた作品は作成者によっては、元の金額の何倍、何十倍と価値が高まるものもある。

装飾された傷のことを、金継ぎの世界では「景色」と呼ぶ。傷があることを認めたうえで、その傷を愛でる姿にグリーフケアとの深い共通点を感じて、著者は金継ぎを学ぶようになったそうだ。

本書は、大切な人を亡くした方の拠り所として、日本グリーフ専門士協会がインターネットで開催している「グリーフサロン」を紙上に再現したものである。

グリーフとは「喪失体験に伴う悲しみや嘆きとその反応」のことだ。具体的に言うと、愛しい、悲しい、寂しい、つらい、苦しい、悔しい、不安、心配、落胆、空虚感など、複雑な気持ちを心の奥に押し込めた状態がグリーフである。

何年経っても、大切な人を亡くした哀しみに覆われたまま、そこから抜け出せない人は少なくない。心の奥にたくさんの想いを抱えながら、誰にも言えずにいる。そのうえ周りは理解ある人ばかりではなく、不用意に傷つけられることも多い。それを恐れて、ますます自分の殻に閉じこもってしまう。そうしているうちに、自分の世界はどんどん狭くなり、より一層哀しみに覆われる。

ではどうすればいいのだろう?哀しみから逃れる術はないのだろうか?

たくさんの傷ついた人を見てきた著者は、本書でこう伝えている。

哀しみと折り合いをつけるために一番大切なものは、薬でもカウンセリングでもない。哀しみと向き合う勇気と、つながりである。

哀しみから逃れるのではなく、向き合ってみる。大切なのは傷がなかったことにしないこと。無理に隠そうとしたり、なくそうとしたりするのではなく、自分の一部として大切に愛でることで、本当の意味でその人らしく生きることができるのではないか。

そしてそんな方たちをいつでも受け入れることができる居場所を提供したいと思い、著者は活動を続けている。

今哀しみを抱えている方、またその支援者にもヒントを与えてくれる本だと思う。

 

 

【書評】傷を自分の一部にする。『大切な人を亡くしたあなたに知っておいてほしい5つのこと』

 

「金継ぎ」といわれる日本の伝統技法がある。割れたり、ひびができて使い物にならない陶磁器を、愛でるように漆でつないだ後、金粉で装飾を施す。治すというよりは、むしろ傷を強調するような修復方法である。そうして金継ぎされた作品は作成者によっては、元の金額の何倍、何十倍と価値が高まるものもある。

装飾された傷のことを、金継ぎの世界では「景色」と呼ぶ。傷があることを認めたうえで、その傷を愛でる姿にグリーフケアとの深い共通点を感じて、著者は金継ぎを学ぶようになったそうだ。

本書は、大切な人を亡くした方の拠り所として、日本グリーフ専門士協会がインターネットで開催している「グリーフサロン」を紙上に再現したものである。

グリーフとは「喪失体験に伴う悲しみや嘆きとその反応」のことだ。具体的に言うと、愛しい、悲しい、寂しい、つらい、苦しい、悔しい、不安、心配、落胆、空虚感など、複雑な気持ちを心の奥に押し込めた状態がグリーフである。

何年経っても、大切な人を亡くした哀しみに覆われたまま、そこから抜け出せない人は少なくない。心の奥にたくさんの想いを抱えながら、誰にも言えずにいる。そのうえ周りは理解ある人ばかりではなく、不用意に傷つけられることも多い。それを恐れて、ますます自分の殻に閉じこもってしまう。そうしているうちに、自分の世界はどんどん狭くなり、より一層哀しみに覆われる。

ではどうすればいいのだろう?哀しみから逃れる術はないのだろうか?

たくさんの傷ついた人を見てきた著者は、本書でこう伝えている。

哀しみと折り合いをつけるために一番大切なものは、薬でもカウンセリングでもない。哀しみと向き合う勇気と、つながりである。

哀しみから逃れるのではなく、向き合ってみる。大切なのは傷がなかったことにしないこと。無理に隠そうとしたり、なくそうとしたりするのではなく、自分の一部として大切に愛でることで、本当の意味でその人らしく生きることができるのではないか。

そしてそんな方たちをいつでも受け入れることができる居場所を提供したいと思い、著者は活動を続けている。

今哀しみを抱えている方、またその支援者にもヒントを与えてくれる本だと思う。

 

 

【書評】「広告にみえない」ものが広告になる。『広告がなくなる日』

 

広告に対してどんなイメージを持っているだろうか?
広告めっちゃ好きです!みたいな人はあまりいないと思う。むしろ、見たくもないときに見たくもないものを見せられて嫌いだ。と評者は思ってしまう。

そんな嫌われ者とも言える広告に対する、著者の提案と愛情が本書には詰め込まれている。

先に行ってしまうと、タイトルの「広告がなくなる日」というのは、言葉通りの意味ではない。そのままを伝えるなら「広告が生まれ変わる日」となるかもしれない。広告業界は少しずつ変化しているし、また、これからはよりいっそう大きな変化が求められている。

7兆円と言われる巨大な広告産業が、「より良い未来を追求する仕事」になったら、少なからずこの未来はよくなるはずだと、著者は愛情を持って伝えている。

それはつまり、表面的で中身を伴なわない広告はもうやめにして、もっと本質的で意味のあることにお金や労働という資源を投下すべきだということだ。ただの「販促」ではなく、「ブランディング」としての広告へ。そこには「高貴な精神」「高い視座」「優れた美意識」が必要とされる。

そんな悠長なことを言っていては生き残れないぞ、という反論が聞こえてきそうである。けれど逆に、そうした広い視野を持ち、長期的な目でものごとを見ないとこれからの時代は生き残れないのだと著者は伝えたいのだと思う。

”今や終わりを迎えつつあるビジネスの延命措置、ブルシットジョブの典型例”
広告業界はそんな風に言われたままで本当にいいのか、と著者は警鐘を鳴らしているのだ。

そして個人的に、本書を読んでいて嬉しかったのが小説からの引用文が多く使われていたことだ。どうやら著者はかなりの村上春樹好きらしい。感覚的で人間的で情緒的な「何か」を、本書では「文化」「アーツ」と呼んでいる。そうしたものを著者がとても大切にしていることが、本書を読んでいると伝わってくる。

広告業界に関わっているかどうか関係なく、現代のビジネスに少しでも疑問を持つ人は読んでみてほしい。普通の本とは一風変わったしかけもあったりして、新しくて楽しい読書体験ができると思う。

 

広告がなくなる日

広告がなくなる日

  • 作者:牧野 圭太
  • 発売日: 2021/03/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

【書評】哀しみがあなたにもたらすもの。『大切な人を亡くしたあなたに知っておいてほしい5つのこと』

 

著者は、一般社団法人日本グリーフ専門士協会代表理事
初めて聞いた「グリーフ」という名詞。「喪失体験に伴う悲しみや嘆きとその反応」を指すものだとういう。

本書は、日本グリーフ専門士協会がインターネットを介して開催している「グリーフサロン」を紙上に再現したものだ。
五人の遺された人々と、一人のファシリテーターが登場し、月に一度で、タイトル通り五回のサロンが開かれるというものだ。
会話式で進められ、毎章ごとにテーマとワークが一つずつ盛り込まれている。また、登場人物の一人に焦点を当て、合間合間に彼女の主観的な想いも挟みながら、サロンが重ねられていき、「グリーフケア」とはどういうものであるのかを読書に教えてくれている。
著者が実際に出会った人々とのやり取りをベースにしているだけあって、内容は違和感無く読み進められる。また、個々の事例を一つひとつ深掘りしている訳ではないことにも、好感が持てる。
死別や離別により、人にはどんなことが起きるのか。周りの人はどう向き合えば良いのか。恐らくそれは千差万別で、一概には言い切れまいと思うからだ。

本書では、登場人物たちに劇的な変化が起こる訳ではないが、自らに向き合うことと、吐き出すことで、哀しみと折り合いをつけていく。
心の傷にがんじがらめになってしまった人々に、「居場所」を与えるためのもの。それが「グリーフサロン」の存在目的なのだろう。

以前、東日本大震災によって福島から東京へ移転してきた方との対話で、誤った言葉を発してしまったことがあり、その時に、「被害を被った人々に、我々はかける声など持たないのだ」と思わされたことがあった。
それが、本書を手に取った動機だ。
そして、読み進めていく内に、今まで何人かと死別した時のことを思い出した。
私自身はグリーフで悩む者ではないが、それでもやはり死別というものは心に残っているのだ。

 

 

 

【書評】最後にはいつだってテクノロジーが勝利する『ぼくは愛を証明しようと思う。』


恋愛工学。それは男の欲望を実現するための秘密のテクノロジーである。本作は、とある非モテ男子がこの恋愛工学を学び、数々の美女を虜にする恋愛プレイヤーになるまでを描いた物語である。

主人公は26歳のわたなべ。結婚を考えていた彼女に浮気され、ただ性欲を満たすために性風俗に通う典型的な非モテ男子。気分転換にやってきたバーで、初対面の3人の美女を同時に口説くモテ男を目の当たりにして衝撃を受けるが、それが知人の永沢であることを知り、彼から恋愛工学を学ぶことになる。

そこからは怒涛の実践演習の日々。1日で50人をナンパしたり、ラポールミラーリング、イエスセットといった女性を落とすテクニックを会話に織り交ぜたりなど、恋愛工学に基づき正しく恋愛をしながら、確実に女性を落とすテクニックを身に着けていく。そうして非モテ男子のわたなべは、たった1年でモテ男へと変貌を遂げたのである。

非モテ男子時代のわたなべの性格や行動は、驚くほど私とシンクロしていた。そんなわたなべがどんどんモテ男へと変身していく姿に自分を重ね、なぜか自分もモテ男になれる未来が見えた気さえした。しかし恋愛工学の前提として、モテる男はモテるゆえにもっとモテる、というものがある。同時に複数の女性と恋をすることで、さらに女性が寄ってくるというものだ。私はこの部分にどこか違和感を感じた。私と同様、わたなべもその違和感を感じていたようで、結局最後は一途にひとりの女性を愛す、ただの非モテ男子に戻ってしまった。

恋愛は運とスキルのゲーム。愛など必要ない。頭を使って戦略的にプレイしないとダメだ、と永沢は言う。でも、ドラえもんのび太のように、なんの取柄がなくても一途に愛し続ければいつかは報われる。そんな恋愛をつい期待してしまう。私もしばらくは非モテ男子からは脱出できなさそうだ。

 

ぼくは愛を証明しようと思う。

ぼくは愛を証明しようと思う。

  • 作者:藤沢 数希
  • 発売日: 2018/08/26
  • メディア: Audible版
 

 

【書評】1968年8月21日ついにソ連からワルシャワ条約軍がやってきた、改革崩壊までの一部始終『プラハの春 下』

 

元外交官である著者が1968年チェコスロヴァキア日本国大使館在勤中に遭遇した民主化運動「プラハの春」を小説化。上巻は1967年からプラハの春改革前夜1968年3月まで、下巻は改革を進めるチェコスロヴァキアソ連が軍事介入、改革崩壊までの一部始終が描かれている。権力と面子に固執して事実を歪曲する卑劣で野蛮なソ連東ドイツなどの社会主義勢力と、この軍事介入に手が回らずダンマリを決め込むアメリカ。最早、プラハの春の味方は居ない。その中で、ソ連に立ち向かうチェコスロバキアの人々はユニークで大胆に知恵を使ってワルシャワ条約軍を煙に巻く。
軍事介入を冷静に報道したプラハ放送は、ワルシャワ条約軍によって放送局そのものを破壊されたが、地下に潜り放送を再開しソ連による占領を海外へ発信。プラハ市民は軍人への直接対話によりワルシャワ条約軍を翻弄していく様は痛快である。

上巻に引き続き、日本国大使館員の主人公堀江とDDR東ドイツ)人反体制派活動家であるカテリーナとの恋愛パートが本書の大半を占めていることは残念であるが、なぜソ連が崩壊したのか、マルクスレーニン主義スターリン主義の違いは何かがとてもよく理解できる。社会主義の歴史を学ぶにはうってつけ。

自由が当たり前と思っている私たちは何て幸せなんだろう。今の自由は多くの人々が犠牲となってる上で享受できていると実感。歴史の奥深さを感じることができる一冊である。

 

プラハの春 下 (集英社文庫)

プラハの春 下 (集英社文庫)

  • 作者:春江 一也
  • 発売日: 2000/03/25
  • メディア: 文庫