あなたは、1万円札に永遠の価値があると本気で信じているだろうか?1万円札は製造コストたった二十数円の「紙切れ」である。そして、そんなお金という「ただの紙切れ」つまりフィクションに翻弄され四苦八苦している人たちはただのドMである。
著者は、私たちのお金の常識をぶっ壊すつもりでいる。「お金なんて貯めるな!信用を貯めろ!」これは著者があらゆるところで繰り返し言ってきた言葉だ。
なぜか?
よく考えて欲しい。そもそも、お金の正体とはズバリ、「信用」だ。私たちが後生大事に財布にしまいこんでいるのは、信用の多寡に「100円」、「1000円」と数字をつけ、金属片や紙切れに置き換えただけのシロモノなのだ。
「国家が発行した通貨は信用できる」といった思い込みは、もはや共同幻想だ。みんなが信用しているうちはこれらの通貨も安全かもしれないが、民衆からそっぽを向かれた瞬間、その価値はガタ落ちする。
今は安定しているように見える円やドルだって、その信用が永遠に保たれる保証なんてない。
そこで、コミュニティにおける信用さえあれば、国家が価値を保証するお金ばかりにとらわれる必要はない。社会の変化に応じてかたちを変え進化していった仮想通貨やポイントを使い、自由に取引していけばいい。
お金とは時代に応じて、まるで生き物のように進化していくものなのだ。
ひょっとすると、これからの時代はお金が必要なくなるかもしれない。古代の人々はお金はおろか、儲けとか貯金といった概念すらもたず、コミュニティ内のみんなで助け合って生きていた。
お金には換算できないプライスレスな消費者余剰が、右肩上がりで増えていく。そんな近未来が待ち受けているかもしれない。
重要なのは世間的な「常識」に振り回されないこと、自分でいちいち事実について調べる癖をつけることである。
お金が必要なくなるなんて、冗談だろうと思っているあなたも、一度考えてみる価値はあるのではないだろうか。お金がいらなくなった世界で、どう生きるかについて。