HIU公式書評Blog

HIU公式書評ブログ

堀江貴文イノベーション大学校(通称HIU)公式の書評ブログです。様々なHIUメンバーの書評を毎日更新中。

MENU

【書評】JK詩人・文月悠光が爆誕。処女詩集『適切な世界の適切ならざる私』

これが現代詩でないのなら、何を現代詩というだろう。文月悠光の処女詩集は、中原中也賞をとることが予定調和だったように感じさせる作品だ。整然と並んだ文字列は、絵画のような印象を与える。韻文詩と散文詩の合わせ技は、彼女の特徴的なスタイルで、17歳にしてすっかりそれを確立している。
擬態語や擬音語の、名詞との効果的なミキシングで、目の前にくっきりと動画が浮かぶ。複雑怪奇でわからなそうな比喩なのに、わかるのだ。思考をすり抜け、ココロだけに入ってくる。現代詩の王道をいくような凝った工芸を、妙に自然に紡ぎ出す彼女は、現代詩の申し子として生まれたのだろう。

ときにまとわりつく様なエロチックな詩も、彼女の持ち味で、少し中性的でさわやかな文体ながらも、あまりに詳細な描写が羞恥心を責め立てる。露悪ギリギリのところを攻めようとして結局露悪に着地しているが、そういう勇敢な所こそが評価されるのだろう。
まっすぐで、しかしよるべのない抒情を、彼女は常に不甲斐なく紙にぽたぽたと落としている。そんな可哀想な様子が、常になんとも「あはれ」なのである。

「おりてこいよ、言葉。」というフレーズが、詩の界隈ではもてはやされているようだけど、私にしてみれば、なんて言葉に対して横柄なのだろうとモヤモヤとした気持ちが沸いてくる。がしかし、17歳で詩壇の注目をかっさらってからというもの、繊細な心で周囲から将来への嘱望を浴びつづけた彼女は、「言葉に轢かれた」という表現にあるように、言葉から捕まえられた呪縛とずっと格闘してきたのだろう。下から言葉を睨みつけるような生真面目な生娘の視線がありありと浮かんでくる。あっと驚かされる様な表現のオンパレードは、何も信じることが出来ない虚無の中に居る、彼女の孤独な闘い、なのだ。

著者 文月悠光
2009年発行