著者ははじめて訪れた異国である韓国のソウルに降り立った時、いったいここからどれほど歩けばパリに辿り着けるのだろう、という感慨を抱いた。そして26歳になった著者はある日思い立った。「インドのデリーからイギリスのロンドンまで、乗り合いバスで行こう。」
一年以上にわたるユーラシア放浪がいざ始まり、デリーまでの途中に立ち寄ったのが香港だった。
”香港には、光があり、そして影があった。光の世界が眩く輝けば輝くほど、その傍らにできる影も色濃く落ちる。その光と影のコントラストが、私の胸にも静かに沁み入り、眼をそらすことができなくなったのだ。”
著者は香港に住む人々の日常に魅せられ、出発点であるデリーに着くまでに半年もの時間を費やすことになる。
そんな著者は旅が進むにつれて、次第に身が軽くなっていくように感じる。そして、本書の至るところに出てくるのが、「王侯の気分」という言葉である。
例えば、著者は香港で何度も「スター・フェリー」という船に乗るのだが、そこにこんな描写があり、評者はとても気に入ってしまった。
”十セントの料金を払い、入口のアイスクリーム屋で五十セントのソフト・アイスクリームを買って船に乗る。木のベンチに座り、涼やかな風に吹かれながら、アイスクリームをなめる。対岸の光景は、いつ見ても美しく、飽きることがない。放心したように眺めていると、自分がかじっているコーンの音がリズミカルに耳に届いてくる。このゆったりした気分を何にたとえられるだろう。”
もちろん、こんなことなら日本でだって、どこでもできることなのかもしれない。けれど自身のあらゆる日常から解放されて、ある意味孤独で心もとなく、そしてだからこそ、どこまでも自由を感じられる。そんな旅でしか味わえない気分なのかもしれない。
そしてまた、現地の人々の、素直でわかりやすい性格にも、著者はしばしば”王侯の気分”を見出す。日々のやるべきことで忙しい我々にとって「幸せ」とは何だったか、深く考えさせられる。そこもまた見所である。
計画を決めず、流れに身を任せてふらふらと。現地の人々に溶け込み、自身も旅なのか日常なのか区別がつかなくなる。きっとこれこそが、旅の醍醐味なのだろう。