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【書評】どうせなら本来のアナーキーなルパンも味わってみてはいかが?『ルパン三世』

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2019年に公開された映画『ルパン三世 THE FIRST』をWOWOWで観てみたら、なんの熱量も感じ取れず、ちっとも面白くもなかったのでこれを書いている。
いつの間にやら、ルパン三世は困っている純真な女の子を見ると、無条件で手助けしてやる善人になってしまった。
この映画でも、その黄金パターンを踏襲していて実に気持ちが悪い。ましてや、敵はナチス・ドイツの残党だなぁんて、今時信じられない時代錯誤感もたっぷりだ。

モンキー・パンチ作の原作漫画を、新・ルパン三世も含めて全巻所有している身としては、或る時期からのルパン一家の凋落ぶりは見るに耐えない。
大体、石川五エ門が最初は敵側として登場したことなど、今時分どれだけの人が知っているのだろうか。

私が、ルパン三世を知ったのは、やはりテレビアニメからだ。それも、1971年に放送開始された、第一シリーズと言われる全23話だ。
監督は大隅正秋。だが、第三話放送の時点で監督を降りた。
降板の理由は、視聴率の悪さから、子供向け内容への改変の依頼を上層部から言い渡されたからだ。
企画当初より、大人向け作品を作るということでコンセンサスが取れていたにもかかわらず、その様なことを言われたのでは続けられるものではない。

そして、後を引き取ったのは、高畑勲宮崎駿だ。
既に制作がかなり進行していた為、その改変作業には随分と苦労した様で、第9話「殺し屋はブルースを歌う」などはほとんど修正をされておらず、渋くて面白い。非常に良い出来だ。
また、第4話「脱獄のチャンスは一度」は、プライドを傷つけられた銭形に対して、「舐めやがって」と、心底から大いに敵意を燃やすルパンの執念が満ち満ちている傑作である。

その第一シリーズで、宮崎臭さがもっとも強く出ているのは、第11話「7番目の橋が落ちるとき」と、第21話「ジャジャ馬娘を助けだせ!」だろう。女の子を助ける善人ルパンの原点の様な作品だ。

そう、そうなのだ。
現在の様なルパン三世像を作るきっかけとなったのは、宮崎駿初の長編アニメーション映画である、ルパン三世映画第二弾の『カリオストロの城』である。
当初、興行的に大コケしてしまったのに、後年評価を上げまくったこの映画が、その後のルパン三世スタンダードのベースとなってしまった。

断っておくが、私としてもこの映画の出来は素晴らしく、大変面白いと思う。だが、これはルパン一家をキャストに使った宮崎アニメであって、誰がなんと言おうと、あんな奴はルパン三世ではない。
とぼけてもらっては困る。ルパン三世は泥棒であり殺人者、れっきとした悪党なのだ。
原作者のモンキー・パンチ自身が、「ルパン三世は義賊ではない」と言い、また、「ルパンが、メリットも無いのに女の子の為になんか働くものか」とも言っている。

一時期、「大隅ルパン」や「宮崎ルパン」などという呼び名も世間で生まれたりもしたが、大隅正秋は、「ルパンが誰のものであるかと言えば、それはモンキー・パンチだ」と言っており、アニメ第一シリーズでも原作の良さを作品に表すことを第一義としていた。
そんな大隈氏の想いに反して、変わり果てたルパン三世という男。
モンキー・パンチが、1996年公開の映画『ルパン三世 DEAD OR ALIVE』で監督を務めた際に、スタッフから「そんなのはルパンじゃない」と原作者の意見を否定されたというのは、もはや悲劇としか言い様がない。

まぁ、そう言ってみたところで時が戻る訳もなく、今後も新作に期待は出来ないだろう。
因みに、私のベストのルパン映画は、第一シリーズにもスタッフとして参加していた吉川惣司が監督となり、第一弾にして最高傑作とも言われている『ルパン三世 ルパンVS複製人間』である。

シラケた時代をダークに行き渡る原作漫画も、機会があれば手にして欲しい。