大学二年生の頃、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きていた。
きっかけははっきりしている。彼はそれまで長く親密に交際していた四人の友人たちからある時、唐突に絶縁を突きつけられた。理由も告げられずに。
あのとき死んでおけばよかったのかもしれない。今でも、多崎つくるはよく考える。
16年が経過した今、ようやく多崎つくるは真相を知るために動き始める。あの頃、彼らに一体何があったのか。名古屋、フィンランドへと友人を訪ね始める。
そして真相が少しずつ明かされ、つくるは自分でも気づかなかった胸の奥深くの痛みに気付く。けれど、それは彼がしっかり感じなくてはならないものだった。
その冷ややかな芯を、つくるはこれから少しずつ溶かしていかなくてはならない。時間はかかるかもしれない。しかしそれが彼のやらなくてはならないことだった。
ひょっとすると、悲しかったり、痛いと感じたりすることは悪いことではないのかもしれない。悲しみという感情は苦しみを癒す。そしてそれを乗り越えて、次に進むことができる。自分の感情に気付けている時点で、回復への足がかりはできている。
日常は雑音があまりにも多くて、自分の感情をおろそかにしがちだ。大事なのは、自分の心の声に耳を傾けること。自分の言葉を探し続けることではないだろうか。
”自分の「実感」を何より信じましょう。”
著者が他のところで言っていた言葉だ。たとえまわりがなんと言おうと、そんなことは関係なくて。それにまさる基準はどこにもない。
著者自身、ずっとそのような「実感」を求めてたくさんの本を読み、たくさんの音楽を聴いてきたそうだ。
音楽といえば、本書では「ル・マル・デュペイ」という曲が重要なシーンで何度も登場するのだが、是非後半はそれを聴きながら読み進めてみて欲しい。より世界感に入り込める。