現実に久々に目の前に立ったホリエモンは九十一歳の瀬戸内寂聴氏の目には「可愛らしい」と映った。悪びれず人懐っこい微笑みをたたえた素顔には、誰をもひきつけるあっけらかんとした魅力があふれていた。
本書は、刑務所から出所したばかりの頃の堀江貴文氏と、瀬戸内寂聴氏の対談を記録したものである。二人の死生観から少子化問題、原発問題、検察についてなど、テーマは多岐にわたる。
人は思い込みで生きている。分子ってのは全く入れ換わっているのに、「自分は自分である」っていう、そのサステナビリティ(持続可能性)みたいなものが興味深いと語る堀江氏。
自分は堀江貴文だと思ってるけど、それは単なる思い込みかもしれない。それがなくなるのが死なわけで。単なる思い込みだなと思ったら気が楽になったそうだ。
「自分が自分である」ことさえ、思い込みだという発想は、大変面白い。私たちは気づかないうちに、思い込みに縛られている。まずは思い込みだと気づくことが、全ての出発点なのかもしれない。
人間以外の何かに頼りたい。
瀬戸内寂聴氏はそう思って出家したそうだ。
そうして出家してみたらあんまり大したことない。でも確かに楽になった。人間がああしなさいこうしなさい、なんて言うことはあまり信じなくなった。なんか宇宙が、地球があって、落っこちてないし、太陽も月もぶつからないし。星座は星座でちゃんとある。それは不思議なことで。そういうものを司ってる何かがあると思ったそうだ。
この二人に共通していると評者が感じたのが、人好きなのに、どこか突き放したところ。人に対しても物に対しても、良い意味で「諦め」みたいなものがあるように感じる。
二人とも生きていく中で、無駄なものをどんどん捨てていて、人や物へ対する執着心がない。そのせいで一見冷たく見えたりもするが、実際には目の前の一瞬一瞬を大事にしているということなんだろう。非常にさっぱりとした生き方で、憧れを抱いてしまう。
結論としては、どう悩んでみても、人は会えば別れるし、生まれれば死ぬ。それはもう決まってる。とにかく死んだら、あとはまあどうでもいい。
そうした考え方が生きている根底にあり、本当にいろんなものに対するこだわりがない二人の対談は、読んでいてすごく気持ち良いものである。