「僕がFacebookをつくったのは、会社を作るためではありません。“世界をよりオープンで、皆がつながり合える場所にする”という使命を果たすためです。」
これはFacebook創業者のマーク・ザッカーバーグの言葉です。
アドラー心理学では「人間は対人関係の中でしか生きる喜びも幸福も感じることができない」と説いています。
SNSが発展することで多くの人間と関わることができ、そして多くのコミュニティーにも所属できるようになりました。
それは対人関係が広くなり、幸せを感じる機会も多くなると思われました。
その反面、アドラー心理学において「苦悩」の定義は「すべての悩みは、対人関係の悩み」と説いています。
SNSがもたらした対人関係の広がりは、幸福とともに悩みの増幅を拡大したとも考えられます。
SNSだけに限らず、日常生活での身近な家族や友人との会話、課題や成果を追求する職場や学校、お客様を対象としているサービス業など、対人関係とコミュニケーションの問題で悩む人が多くいることは想像に難しくありません。
私たちはどうしたら職場や学校、家庭、SNSがつないだ人間関係を良好に維持し、幸福を感じることができるのでしょうか。
これはアドラー心理学の「他者は、仲間である」という概念を問題にはしていません。
もっと、対峙している人間を大事にする具体的なコミュニケーションの方法を問題にしています。
今回、私が読者の皆さんに紹介したい本は、自他尊重に基づく「アサーション」という考えと方法になります。
人間関係の持ち方には大きく分けて三つのタイプがあるとされ、
① 自分よりも他者を優先し、自分のことを後回しにするタイプ
② 自分のことだけを考えて他者を踏みにじるタイプ
③ ①と②の黄金率であり、自分のことをまず考えるが他者にも配慮するタイプ
が挙げられます。①を「ノン・アサーティブ」、②を「アグレッシブ」、③「アサーティブ」と分けます。
実例を挙げると、
あなたは上京してきた友人と銀座で夕食をとっています。あなたはステーキをレアで注文しましたが、運ばれてきたステーキの焼き加減はウェル・ダンでした。
① 友人に愚痴をこぼすが、ウェイターには何も言わず、笑顔で受け答えをする。せっかくのステーキは不味く、注文通りのものを要求しなかったこと、こんなところに友人を連れてきてしまったことを後悔する。なんだか自分が萎縮してしまった感じになる。
② 怒ってウェイターを呼ぶ。注文通りでないことを必要以上に大声で怒鳴り、もう一皿注文する。自分の要求が通ったことは満足するが、怒鳴ったことでその場が気まずい雰囲気になり友人には決まりが悪く、夕食の雰囲気は台無しになる。一方、ウェイターは大勢の前で侮辱された感じがして、不愉快な気持ちになる。
③ ウェイターを呼び、「レアでなくウェル・ダンのステーキが運ばれてきたこと」、「レアのステーキと取り換えてほしい」と丁寧にはっきりと頼む。ウェイターは間違いを謝り、レアのステーキが運ばれてくる。あなたは自分のとった言動に満足し、夕食も楽しみ、ウェイターも客が気持ちよく過ごせたことで気分がよくなる。
この中で③を目指すことがアサーションの第一歩となります。
① 「自分の気持ちが分かってもらえなかった」と自分の気持ちを押し殺し、傷つき、勝手に惨めな気持ちになり、相手を心の中で「思いやりのない人だ」と非難したり、「相手を立ててやったんだ」恩着せがましい気持ちに陥ります。
② 相手の言い分や気持ちを無視したものであり、相手の犠牲の上に成り立った自己主張になります。攻撃された人は自分意に反して服従させられた気持ちになり、軽く見られ、バカにされた気持ちになるでしょう。その結果、傷つき、恐れると同時に怒りを感じて復讐心を抱くかもしれません。
その中でアサーションとは相互尊重の気持ちに基づきます。
相手と意見が異なり葛藤が起こる場合でも、意図的に折れて相手に譲ったり、相手を支配し自分の意見に同意させようとするのではなく、面倒がらずにお互いの意見を出し合って、お互いが妥協して、双方の納得のいく結論を出そうとすることです。
アサーションには歩み寄りの精神があり、相手は大切にされたという気持ちを持ち、歩み寄った二人の努力に誇りを持つことができます。「自他の権利を侵さない限り、自己表現をしても良い」という意味です。
人間関係にて相手に過剰に気を使いすぎて疲れてしまう人もいると思います。
もし「すこし休みたい」と心で少し思ったのであればその気落ちを優先して良いのです。
もし「断りたい」と思ったのであれば、相手を尊重しつつ自分の意見を言うことは間違いではないのです。「自分を大事にすること」は私たちが生まれた時からもっている大事な権利なのです。
自分の意見を優先することで相手を傷つけるかもしれません。それでも良いのです。
人間には「失敗する権利」があります。
私たちは失敗や過ちを犯す生き物だから人間なのです。
間違ったときは訂正し、悪意なく傷つけたときは謝りたいのです。
完璧に償うことが義務なのではなく、可能な限りで引き受け責任をとることができるのです。
完璧に償うことが義務なら、私たちは何もできません。完璧に償うことなど不可能だからです。
人間は不完全な故、人を傷つけることもあり得るという前提で生きていかなくてはなりません。
もし、傷つけてしまった場合は、傷つけたことを認め、それをどう修復するか心を砕くことです。傷つけまいと必死になるよりも、自分の意見を主張したことで相手を傷つけることがあると心がけ、その後の人間関係を修復する方法を身に着けることが大切になります。
そして「赦す」気持ちや行為ができるのも人間なのです。
この文章を読んだときに、対人関係で気を使いすぎている人とぜひシェアしたいと思いました。
私が紹介した内容はごく一部ですが、この本にはもっと多くの他人と自分の大切にする方法の基本となる考え方や上記の様な具体的な場面や方法が書いてありますので、ぜひ一読してみてください。
言いたいことを言えないこんな世の中じゃ~POISON
俺は俺をだますことなく生きていく~OH OH
タンタタターン♪ タンタタターン♪
改訂版 アサーション・トレーニング ―さわやかな〈自己表現〉のために
- 作者: 平木典子
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