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堀江貴文イノベーション大学校(通称HIU)公式の書評ブログです。様々なHIUメンバーの書評を毎日更新中。

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【書評】近代日本の文学史を司った作家というものを初めて識る悦び。『城の崎にて・小僧の神様』

明治から昭和にかけて活躍し、小説の神様と言われた志賀直哉の短編集。
私が本書を手にした動機としては、作家、北方謙三が、小説家になる為に志賀直哉の『城の崎にて』を原稿用紙に書き写したりして学んだということを知ったので、一度読んでみようと思ってのことだ。
なんの予備知識もなく頁を繰ったが、なるほど惹かれるところは大いにあった。
巻末の解説によれば、本書に収められているのは明治45年から大正15年に至る、作者が30歳から44歳時の代表的な15篇だという。
そして、これ以降の昭和期の作品では、作り話の要素がほとんど影を潜めて、仮構も飾り気も無い作品が大部分になるのだそうだ。

いずれも10頁程度。次から次へと読み散らかしてみたのであったが、15篇のうちのざっと7割近くは作者の経験した事柄、思い出などをそのまま著したものの様で、心情を重ねていくのを中心とした密度の高さを持つが、言いようによってはハードボイルドを思わせる端的な文体には確かに美しさを感じさせられる。
ただ、『山科の記憶』『痴情」『瑣事」の連作については、なかなか身勝手な主人公、つまり作者自体に対して幾分苛立たしさを感じた。
どういう人物かよく知りはしないが、解説者によれば「潔癖感で真っすぐ」なのだそうで、こうと思ったことは著さずにはいておれぬというところか。
元より、作家というものが、言いたいことがあって、それを文章にして世に送り出したいと思っている存在であろうから、当たり前と言えばその通りか。
一方で、創作物と思われる作品群は割とあっさりな印象があった。なかには寓話的なものまであって、それにつけては時たま作品中で解説めいたものが差し込まれるが、これは作者自らにとっては創作に関する不守備を恥じたことの裏返しによる照れ隠しなのだろうか。いやそれともそれ自体がユーモアなのか。
いずれ他の作品にも触れる機会を作ってみて理解を深めようかと思う。

城の崎にて・小僧の神様
作者: 志賀直哉
発売日:1954年3月10日
メディア:文庫本