ハードボイルド探偵小説界に於ける希代の名作家レイモンド・チャンドラー。その全中短篇を網羅しようという短篇全集の第2巻目に収録されているのは、1936年から1937年にかけて発表された七篇である。
今回も、一作毎に翻訳者を変えており、読み比べてみれば、気安い口調を用いてみたり、余計なものを削ぎ落とした様な表現を用いたりと、少なくないそれらの表現の差異もなかなか興味深い。
この全集はほぼ発表順に作品が編まれており、チャンドラーの作家性の足取りが追えて有難い。
そして、本書では「シラノの拳銃」が私にとっては初見のものであったが、その主人公であるカーマディという男は、かつて街の大物であった男の息子で、父親が残した汚い金に頼って生きており、疎ましく思いながらも、その生活を捨てることも出来ずに無為に生きているという設定は意外でありユニークに感じた。何故なら、普段チャンドラーが描く主人公たちは自らの足で立って世間を渡り歩くしたたか者で、そして決して裕福ではないからだ。
この様な作品に今更にして出会えるとは、改めて村上春樹の新訳本出版によりチャンドラーの作品ににわかに注目が集まったことに感謝すべきなのだろう。
尚、旧訳版の殆どでは、主人公は自らを指して「ぼく」と称していたのに対して、本書では「おれ」と表しているのが目立つ。これはやはり違和感を感じさせるのに十分なのだが、作品の内容からして実はチャンドラーとしても「ぼく」なんて言う様な人物を念頭に置いているとも思えていなかったことも事実だ。
そして、「おれ」と主人公達が口にすることによって、よりハードな印象が増すが、反比例するかの様に、その分エレガンスさが打ち消されていると思う。
第1巻に於いては、フィリップ・マーロウを主人公にした一作のみは「おれ」ではなく「わたし」とされていたのは、そういったイメージの変化を施すことを善しとしなかったからだろう。
本書ではマーロウ作品ではないが、三人称形式の「シラノの拳銃」と一人称形式の「犬が好きだった男」で「わたし」と称している。そしてマーロウ作品である「金魚」では逆に「おれ」を使っているが、やはりなんとはなしにタフガイさが増して感じられるのである。
また、「金魚」に於いては若い美人の女の子がマーロウの敵として現れる。これがやたらと強面なのだが、なかなか良い味を出している。三十二口径の銃をかざし、マーロウにホールドアップを促すのである。
チャンドラーの作品に登場する女性達は勝ち気な性格が多いのではあるが、武闘派は珍しい。一読の価値はあろう。
収録作品
「シラノの拳銃」 訳:小林宏明
「犬が好きだった男」 訳:田村義進
「ヌーン街で拾ったもの」 訳:三川基好
「金魚」 訳:木村二郎
「カーテン」 訳:加賀山卓朗
「トライ・ザ・ガール」 訳:真崎義博
「翡翠」 訳:佐藤耕士
トライ・ザ・ガール チャンドラー短篇全集 2
作者:レイモンド・チャンドラー
発売日:2007年10月15日
メディア:文庫本