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堀江貴文イノベーション大学校(通称HIU)公式の書評ブログです。様々なHIUメンバーの書評を毎日更新中。

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【書評】江戸中期までは将軍様だって一日二食だった。『“図説”江戸おもしろ雑学知識』

 

あんまりこういった知識あれこれ披露本には興味を示すことが無いのだが、こいつはなかなか印象深い一冊であった。
おっと、なんでえ、そいつぁ、という様な当時の習わしや、その頃ならではの風情なども面白い。
また、時代劇などで観せられていたものが、全くのデタラメ、有り得ないことだった、なんてことも知れる。てやんでぇ、べらぼうめ。

江戸が日本の首都になったのは、関ヶ原の戦いに勝利した徳川の本拠地であった為だが、元から徳川家は江戸にいた訳ではない。
徳川家といえば駿河国。しかし、天下統一を果たした豊臣秀吉に、大阪から見てもっと遠い関東に追いやられたのであった。
大したことのない領土であったのを、江戸幕府をおっ建てるに当たり、神田の山を切り崩して海を埋め立て、大規模な拡張を行なったという、人工的なお国だったのである。
その普請の為に各地から荒くれの職人が大勢集まったことが、べらんめい、こんちくしょうな江戸っ子風情を生む土壌となった。
家康が大急ぎで欲したのは武器、兵糧。そこで、日本橋を中心に埋立地を無償で分譲して商人を集め、商店街を造った。
江戸城には将軍家と大奥が。城を取り巻く武家屋敷にはいわゆる政治、行政に携わる武士が住まい、街中には町人に加え、浪人たちが士官の口はないかと大勢たむろい、へい、一大都市の一丁上がり、という具合だ。

将軍の一日は、「もうー」で始まる。
男子禁制の大奥で出入りを許された男とは?
大名行列を横切ることを許された職業とは?
切腹の流儀。
軽蔑の代名詞「三ピン侍」の「三ピン」とは?
岡っ引きは前科者。
などなど、本書では、将軍、大奥、大名、町奉行、商人、そして江戸っ子たちが当時どう生きていたのか、どんな毎日を過ごしていたのかを仔細に語るのだが、そうさね、おいらが一番面食らったことって言やあ、こいつさね。
「大江戸八百八町」。こんなもんはこんこんちきの嘘っぱちってぇもんよ。おめぇ本当のことを言やぁよ、聞いて驚くなってんだ、江戸初期はともかく、どんどん膨れ上がって天明年間には千七百七十町っもあったってえ代物よ。人の数だって百六万人。欧州一番の巴里よりも多いってんだから、世界一の都ってぇもんさね。
「五・三・八」ったぁ当てにならねえいい加減な数でよ、って言い方もあるが、なにを、このすっとこどっこい!
「八百八」のまんまの方が、「八百万の神様」にあやかって縁起が良いって寸法よ。
どうでえ、粋ってぇもんじゃねえかい。


“図説”江戸おもしろ雑学知識
作者:稲垣史生
発売日:2008年9月19日
メディア:文庫本