HIU公式書評Blog

HIU公式書評ブログ

堀江貴文イノベーション大学校(通称HIU)公式の書評ブログです。様々なHIUメンバーの書評を毎日更新中。

MENU

【書評】我執、エゴイズムという薄気味悪いものの力で生きている人間とは一体何なのだろう。『こころ』

f:id:SyohyouBlog:20201120213912j:plain

則天去私…小さな私にとらわれず、身を天地自然に委ねて生きていくこと。夏目漱石が晩年に理想とした境地を表した言葉。宗教的な悟りを意味するとも、漱石の文学観とも解されている。

主人公である学生の私は、鎌倉の海岸で先生に出会う。周りの大人とは違った空気感をまとい、どこか影のある先生に、私はとても興味を持ち、先生の内面を知りたがる。

父親の見舞いで故郷へ帰省した私。そんな私に先生から思いもよらない手紙が届く。それは先生の自殺を思わせる手紙だった。そしてその手紙には、私が知りたかった先生の過去が綴られていた。それはかつて親友を自殺に追いやってしまった、辛く悲しい過去だった。

先生の手紙によって私がようやく知る真実。
両親が亡くなり、親しくしていた親戚から裏切られた先生。一旦は心を閉ざしながらも、下宿先での未亡人とそのお嬢さんとの出会いを経て、なんとか良く生きていこうとしていた。しかし親友Kをその下宿先へと招き入れたことをきっかけに、人生の歯車が狂い始める。

先生は、親から勘当され、生活に苦しむ親友Kを助けようと、下宿先へと招き入れた。親切心、同情心からの行動であった。だが自分が想いを寄せる下宿先のお嬢さんをKに奪われてしまうのではないか、という思いに次第に苦しむようになる。お嬢さんを本気で好きになっていた分、それは強迫観念とも言えるくらいに強い思いだった。

「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」
自分と同じ人を好きになり、恋に苦しむKに先生はこう言い放った。精進という言葉が好きで、向上心や忍耐心の塊のようなKにとってどれほど苦しい一言かを知りながら。その言葉は他の何ものでもなく、単なる利己心による発現であった。先生はついに我を忘れることができなかった。

そうして親友を自殺へと追い込んでしまった。自分が、自分が、という思いにとらわれ、我を守るために他者を責めたことによって、先生は結局、一生をかけて自分自身が苦しみ続けることになってしまった。

そんな過去を持つ先生は、エゴイズム、言い換えると我執を捨てられないことに苦しみ、人間というもの、なによりも己自身に絶望していた。

そして本作には、新時代に適応することへの漱石自身の苦しみも色濃く現れている。

漱石はまさに明治時代を生き抜いた作家だったと言える。本作中でも明治天皇崩御、そして乃木希典の殉死という出来事が描かれている。戦争が終わり、日本人は旧日本的な考え方を手放し、西洋的生き方へ移行しようとしていた。

そんななか、漱石は葛藤していた。「私」を強く持つ西洋的な考え方を受け入れることが、どうしても漱石の目にはエゴイズムのように映り、苦しかった。旧日本的な考え方を手放してしまいたい、しかしどこかに、自分のこころに残しておきたいという思いから本作を描いたのだろうか。

しかし晩年に漱石が理想としたのはやはり、冒頭に書いた「則天去私」という、小さな私にとらわれず、身を天地自然に委ねるという生き方だった。

余裕がなくなったときの人間の醜さ。エゴイズム。そして命の儚さ。人間のこころを赤裸々に描いた本作を読んでいると、評者は苦しくなってしまう。けれど、漱石の美しい文章に幾分か救われる。

美しい自然と、自分がその時代を生きたわけでは無いのに、なぜか懐かしい明治の風景が脳裏に浮かび上がってくる。

学生時代は本作に面白さを見出せなかった方も、大人になった今再読することで、新たな発見があるのではないだろうか。人間の醜さや儚さについて、考えさせられる作品である。 

 

こころ

こころ