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堀江貴文イノベーション大学校(通称HIU)公式の書評ブログです。様々なHIUメンバーの書評を毎日更新中。

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【書評】時間とはすなわち生活であり、人間の生きる生活は、その人の心の中にある。『モモ』

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「時間」とは、いったい何だろう?
機械的にはかることのできる時間が問題ではない。そうではなくて、人間の心のうちの時間、人間が人間らしく生きることを可能にする時間、そういう時間が私たちからだんだんと失われてきた。このとらえどころのない、謎のような「時間」というものが、この不思議なモモの物語の中心テーマである。

物語の舞台は、どこかの国の大都会。ニューヨークにも思えるし、パリにも見える、あるいは東京かもしれない。本作は1973年に出版されたものだけれど、今の私たちを写しているように見える。つまりこの町はまぎれもなく、典型的な現代の大都会である。そして街の住人とは私たちのことである。

そんな町に現れたのが、年齢も素性もわからない浮浪児のモモ。管理された文明社会の枠の中にまだ組み込まれていない人間、現代人が失ってしまったものをまだ豊かに持っている自然のままの人間の、いわばシンボルのような存在。人間に生きることのほんとうの意味を再び悟らせるために、この世に送られてきたのかもしれない。

ところがこのモモをとりまく世界は、「灰色の男たち」という奇妙な病菌に侵されはじめている。人々は「よい暮らし」のためと信じて必死で時間を倹約し、追い立てられるようにせかせかと生きている。子どもたちまで遊びをうばわれ、「将来のためになる」勉強を強制させられる。

こうして人々は時間を奪われることによって、本当の意味での「生きること」を奪われ、心の中はまずしくなり、荒廃してゆく。それとともに、見せかけの能率のよさと繁栄とはうらはらに、都会の光景は砂漠と化してゆく。

そのようにして計画的に生きることは現在という時間の質を問うことを禁止する。だからこそ時間を貯蓄するといった発想が成り立つ。ここでは人々は現在という時間を犠牲にして将来のために貯めておく。

現在を生きることを哲学者のエーリヒ・フロムは「集中」という言葉で語っている。
「集中するとは、いまここで、全身で現在を生きることである。いま何かやっているあいだは、次にやることは考えない。」そしてフロムはこの集中の例として、「相手の話を聞く」ということを挙げている。

物語の主人公、小さなモモにできたこと、それはほかでもない。相手の話を聞くことであった。なあんだ、そんなこと、誰にだってできるじゃないか。そう思ってしまうかもしれない。

だけどほんとうに聞くことのできる人は、めったにいない。相手の話を聞くとは、相手に関心をよせることである。そこからしか、愛は生まれない。

モモは、相手の話をじっと聞くことによって、その人に自分自身を取り戻させることができるという不思議な能力を持っていた。そんなモモが、時間泥棒に奪われてしまった人々の時間を取り戻すべく、「灰色の男たち」に立ち向かう。

「いまを生きる」ということの意味を改めて問う、ミヒャエル・エンデの名作である。「時間」とは、すなわち「生きる」とは何なのか。「時間」を切り売りして、「お金」に変えてきた社会へ、エンデは警笛を鳴らしていたのかもしれない。児童文学ではあるが、忙しい大人にこそ読んでほしい作品である。

最後に、本書の中で、評者の心に残った文を引用したい。

”時計というのはね、人間ひとりひとりの胸の中にあるものを、きわめて不完全ながらも真似て象ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのと同じだ。人間には時間を感じるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じ取らないようなときには、その時間はないも同じだ。”

 

モモ (岩波少年文庫)

モモ (岩波少年文庫)