著者は悪名高いアウシュビッツとその支所に収容されるが、想像も及ばぬ苛酷な環境を生き抜き、ついに解放される。家族は収容所で命を落とし、たった1人残されての生還だった。
著者は学者として、極限におかれた人々の心理状態を分析する。なぜ監督官たちは人間を虫けらのように扱って平気でいられるのか、被収容者たちはどうやって精神の平衡を保ち、または崩壊させてゆくのか。こうした問いを突きつめてゆくうち、著者の思索は人間存在そのものにまで及ぶ。
あるとき、著書の中である思いが貫いた。
愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。人は愛により、愛の中へと救われるということ。人はこの世にもはや何も残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いを凝らせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、著者は理解したそうだ。
強制収容所に収容された人々は、まっとうに苦しむことは、それだけでもう精神的になにごとかを成し遂げることだ、ということを証明していた。最後の瞬間まで誰も奪うことのできない人間の精神的自由は、彼らが最後の息をひきとるまで、その生を意味深いものにした。強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。その可能性は、彼らの覚悟というただ一点にかかっていた。
著者のヴィクトール・E・フランクルは、1905年、ウィーンに生まれた。ウィーン大学在学中にアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学んだ。ナチスにより強制収容所に送られた体験を戦後間もなく本書に記した。人間が存在することの意味への意志を重視し、心理療法に活かすという独自の理論を展開した。
自由というのは結局のところ、心のありよう次第だと、著者は言いたかったのかもしれない。そしてそれを獲得するには覚悟だけが必要なのだ、と。
現状に対して、どのような覚悟をもつかという自由はどんな人にも、常に与えられているのだ。