HIU公式書評Blog

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堀江貴文イノベーション大学校(通称HIU)公式の書評ブログです。様々なHIUメンバーの書評を毎日更新中。

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【書評】本当に自分にとって興味のあることだけを自分の力で深く掘り下げるように努力をし、それ以外のジャンクはジョークとしてスキップしちゃうわけである。『職業としての小説家』

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著者は自分のことをどこにでもいるごく普通の人間だと語る。実際、日常生活の中で自分が作家だと意識することはほとんどないそうだ。たまたま小説を書くために必要な資質を少し持ち合わせていて、人より頑固な性格に助けられ、こうして職業的小説家として小説を書き続けている。そしてその事実にいまだに自分自身が驚かされると言う。その驚きをできるだけピュアなままに保ちたいという強い思いを持っているそうだ。著者の職業的作家としての人生は結局のところ、その驚きを持続させるためにあるのかもしれない。

私たち人間は生きていく過程であまりに多くのものごとを抱え込んでしまっている。なによりもまず出発点として、「自分に何かを加算していく」よりはむしろ「自分から何かをマイナスしていく」という作業が必要とされる。そして、何が必要で何がそれほど必要でないかを見極めていくためには、「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」というのがひとつの基準となる。もしあなたが何か自分にとって重要だと思える行為に従事していて、もしそこに自然発生的な楽しさや喜びを見出すことができなければ、それをやりながら胸がわくわくしてこなければ、そこには何か間違ったもの、不調和なものがあるということになりそうだと著者は語る。

著者は学校というものが苦手だったそう。学校について考えると、あまり良い思い出はなく、むしろ首筋がむず痒くなってくるそうだ。
もし人間を「犬的人格」と「猫的人格」に分類するなら、著者自身はほぼ完全に猫的人格になると言う。「右を向け」と言われたらつい左を向いてしまう傾向がある。しかし日本の教育システムは共同体の役に立つ「犬的人格」をつくることを、ときにはそれを超えて団体丸ごと目的地まで導かれる「羊的人格」をつくることを目的としているようにさえ見えるそうだ。

著者は日本の教育システムに疑問を感じている。過去はどうあれ、私たちのこれからの行き先はもう、単一の視野では捉えきれないものになってしまっている。社会の勢いが失われ、閉塞感のようなものがあちこちに生まれてきたとき、それが最も顕著に現れ、最も強い作用を及ぼすのは教育の場だ。そしてそういう「逃げ場の不足した」社会がもたらす教育現場の問題に対して、私たちは何とか新たな解決方法を見つけることのできそうな場所をどこかにこしらえる必要がある。一人ひとりがそこで自由に手足を伸ばし、ゆっくりと呼吸できるスペース。制度、ヒエラルキー、効率、いじめ。そんなものから離れられる、暖かな一時的避難場所。誰でもそこに自由に入っていけるし、そこから自由に出て行くことができる。そのどのあたりにポジションをとるかは、一人ひとりの裁量にまかされている。そんな場所が必要だ。
そしてこれってまさしくHIUのことではないだろうか?と、評者は思ってしまった。

評者は著者の作品に幾度となく救われてきたように感じる。具体的に何がどう役にたったと語ることは難しい。著者の言う、暖かな一時的避難場所が評者にとってのそれだったのかもしれない。答えを求められることもなく、自らの意思で、自由に選択でき、自由に好きに生きられる世界。そしてこれからの時代を生きる人にとって、HIUのようにオンラインサロンなどがそれに取って代わっていくのかもしれない。

ものごとを自分の観点からばかり眺めていると、どうしても世界がぐつぐつと煮詰まってしまう。身体がこわばり、フットワークが重くなり、うまく身動きがとれなくなってくる。でも自分という存在を何か別の体系に託せるようになると、世界はより立体性と柔軟性を帯びてくる。何か別の体系というのは、著者にとっては読書であり、ある人にとってはスポーツだったり、別のある人にとってはゲームだったりするかもしれない。そしてこれは人がこの世界を生きていく上で、とても大事な意味を持つ姿勢であるはずだ。そのためにはまずは、自分にとっての本当に必要なものは何か見極めていくことが必要なのかもしれない。

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)