「心理学者、強制収容所を体験する。」
この本はアウシュビッツ強制収容所を生き抜いたユダヤ人心理学者ヴィクトール・E・フランクルによって書かれた。「死ぬな」と言うメッセージではなく「生きたらいいと思う」という程度の軽いメッセージが本のそこらじゅうに散りばめられ、気がつくと読者の心になんとも言えない問いを残していくそんな本なのである。
「119104」これは著者がアウシュビッツでの名前である。このことがどれだけ著者が人として扱われてなかったことを表しているだろう。
著者はアウシュビッツで妻と子を失っている。数百万の人々が何日もかけて鉄道でアウシュビッツに連れて行かれ、そのままガス室送りになったり、見ぐるみ全て剥がされ劣悪な環境下でそのまま連日働かされることとなったりしたのである。著者は、名を奪われ、洋服などありとあらゆるものを奪われ、温かいご飯や暖かい家を奪われ、目の前で仲間が殺され、病気になった仲間を物のように運ばなければならなかず、いつ終わるかわからない地獄のような日々を送ったのである。
著者はそのような中で心理学者として人はなぜこんな残酷な行為ができるのか、どうしてこのような環境下にあっても生きようとするのか、「生」について考えたのだ。
どれだけ残酷な行為を受け絶望の中にいたとしても、自分の精神世界は自由である。苦しみがあるから、悩みがあり、悩みがあるから、考える。こうすべきだなどという答えは常になく、その瞬間での選択が「生」につながっていくのである。
ショックなことが起きると人は、感情の否定し、それから怒り、受け入れるプロセスでの葛藤、そして新しい自分との出会いという過程を経ていく。
アウシュビッツの環境は少し極論かもしれない。だが、自分に当てはめてみると私たちはいろんな場面で選択を迫られ悩み選択している。
この本で著者は新しい自分に出会うであろう途中で話を終わらせている。「収容所での日々を思い出す日がいつか来るかもしれない。」と語っているのみである。心は回復する力を持っているが、必ずしも新しい自分と出会うとは限らない。いつかそういう日が来るだろうと瞬間瞬間を向き合うことこそが人なのかもしれない。