堀江さんの活動はネットニュースやyoutube、ツイッターなどで日頃から収集することができる。どのような活動をしているのか興味を持てば、おそらく情報量には困らないはずだ。しかし、1テーマで記されている書籍から得られることもまた大きい。そこでは受け手の情報編集力の影響は限りなく少なく、著者の考えを文脈に沿って知ることができる。本書のテーマは“教育”だ。
本書でも記されているが、国や市場、仲間など、過去には高い接触コストを必要としたものは、インターネットの普及によってより簡単に繋がり合えるようになった。今ではスマホさえあれば他国の情報を引き出し、会社を通さずともパートナーと出会え、市場で勝負ができるのだ。現在社会で求められているのは、そのようなフラットな世界で活躍できる人材だろう。あらゆる壁がなくなり、全方位に干渉できる。一つの島に住むことに拘らない、常に新しい可能性を求め続ける漂流者のような価値観が必要になる。
そのように世界がフラットになった今、本書は学校教育の不必要性を提示している。なぜだろうか。それは上記のような社会で求められる人材と、学校という機関の作る人材の不一致だ。学校という機関を経て作られる人材は、マスゲームができるような、“規格”に当てはまる人材だ。そこでは凹凸は評価されない。運動会のピラミッドを作るかのように、均一に、トップダウンで統一される明確な指示系統のもと、集団においてのあるべき姿が重視される。
世界の規格が明確なうちは学校教育に意義はあったのかもしれない。しかし、もはや世界の規格は絶えず変化している。規格を形作るフレームそのものさえ無くなりつつあるだろう。変化が当たり前となる世界が待ち受けているというのに、一つの規格のあり方を正しいと勉強することは危険だ。本書は指示通りに勉強に励むことへ警鐘を鳴らしている。
では既存の「あるべき姿はこれだ!」というような“べき論”を跳ね除け予測不能な世界を生きるためにはどうするべきか、本書では“投資型思考”を進めている。何に対しての投資なのか、それは自分自身が今この瞬間に没頭できることに対してだ。やりたいことをぐっと我慢し、いつか必要になるだろうスキルのために何千時間も費やすのは終わりにしよう。本書は好きなことに対してのブレーキを踏むのをやめたい人のための一冊だ。