HIU公式書評Blog

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堀江貴文イノベーション大学校(通称HIU)公式の書評ブログです。様々なHIUメンバーの書評を毎日更新中。

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のんきで、ちょっとおかしな優しさに包まれる 『横道世之介』 著者 吉田修一 (毎日新聞社、2009年9月)

世之介は、長崎から上京したての大学生だ。好色一代男から名付けられた、その奇特な名前を持つ彼は、いつも、ちょっとだけ損した気分になることが多い。上京した日に広場で踊っていたアイドルが、長崎にいたころ憧れていた人だと知らず、ちらっとだけ見て去ってしまったりするのだ。ちょっと小物である。隙だらけで、押しが弱い。だから、全然興味がなかったサンバサークルに入ってしまう。そのくせ、仲良くなった相手には図々しい。平気で何日も泊まったりするのだ。それでも、憎めない。その隙だらけなところが、ちょっと可愛くてついつい許してしまうのだ。

そんなちょっと小物な世之介だが、変なところで器は大きい。仲良くなった相手が窮地に陥れば、自分に可能な限り全力で助けようとするし、相手の性的嗜好が特殊だったとしても、自分に被害がないなら全然構わないと一笑に付す。友の、一世一代の覚悟でしたような告白は、拍子抜けなほどあっさりと受け入れるのだ。こんな性格だから、ついついみんな世之介のことを好きになってしまう。

この物語は、世之介の大学時代と、それを懐古する旧友の現在が並行して綴られる。大学時代も、ちょっと笑えるくらいのんきだけど、現在、世之介を思い出す人はみんな笑うのだ。関わった人みんなが思い出したとき、笑ってくれる。そんな人生を歩んでいきたいものだ。

なお、この作品は映画にもなっている。これも面白いので、本を読むのが面倒な人にもぜひ見て欲しい。私は、大学生のうちにこの本を読んで、こんな生活を送りたい、と憧れた。(今も憧れている。)今大学生の人にぜひ読んでもらいたいが、社会人の人も、読んだら元気をもらえると思う。不思議な優しさと、あたたかい笑いを感じて、いつもより少しだけいい気分で活動できるんじゃないか、と思う。

負け組の、面白い人生 『ララピポ』

テレビや雑誌では、いわゆる成功者がクローズアップされることが多い。みんな、成功者になりたいからだ。しかし、現実には、成功者よりも遥かに多くの負け組が存在するのである。本書は、そんな負け組の中でも、選りすぐりの6人に焦点を当てた小説だ。

6人は、社会的に下に見られやすい、という面では共通しているが、その他の部分はかなり異なっている。名門大学出身の、さえないフリーライター、媚びるばかりのスカウトマン、枯れた生活に嫌気がさしてAVに出演した熟女、イエスマンのカラオケ店員、仕事に納得がいかない官能小説家、デブ専裏ビデオ女優。それぞれ、収入も境遇も違う。

その中でも、特に全員に共通しているのは、情けない、という点だ。無駄に他人を馬鹿にするのも、自分に全然自信がないのも、押し切られて新聞を取ってしまうのも、みんな、情けない。

それでも、本書は、読み終わったあと、なぜか前向きになれる。成功者はともかく、世の中にいるたくさんの人は、何か不満を抱えて生きているのだ。その不満から、より弱い人を食い物にする人もいる。ここに登場する6人は、自分より下の人間がいない、まごうことなき最底辺だ。卑屈な人も多い。というか、みんな卑屈だ。それでも、どこか変なところで前向きなのだ。盗聴に全力をささげたり、とらされた新聞をちゃんと読んで有効活用したり。

与えられた環境に不満がある。それでもみんな、生きているのだ。最近自信を無くした人、くだらない話を読みたい人に、ぜひ本書を薦めたい。

 

 

ララピポ (幻冬舎文庫)

ララピポ (幻冬舎文庫)

 

 

『それをお金で買いますか? 市場主義の限界』

世の中にはお金で買えないものはない。

これは、冗談ではなく海外を中心に、今やほとんどのものが売りに出されている現状があります。

本書で挙げられている例としては

・絶滅の危機に瀕したクロサイを撃つ権利

・議会の公聴会に出席したいロビイストの代わりに徹夜で行列に並ぶいわゆる「並び屋」

・病人や高齢者や生命保険を買い取り代わりに保険料を払い死亡したときに給付金を受け取るビジネス

など、日本人なら驚くようなものまで‥。

この30年の間に市場と市場価値が、それらがなじまない生活領域へと拡大しており、著者はこの現象に対して警笛を発しています。

その理由は2つあり、1つは不平等にかかわるもの、もう1つは腐敗にかかわるものを挙げています。

結論としては、お金で買うことが許されるものかそうでないかを決めるには、社会・市民生活の様々な領域を律すべき価値は何かを決めなくてはならないということ。

そして、その価値の測り方は問題ごとに異なっていくため、個別具体的に見る必要があるということを述べています。

この問題を、行列に割り込むこと、インセンティブ、生死を扱う市場、命名権という項目を設け、膨大な具体例を挙げながらそれぞれ考察しています。

最初の行列に並ぶという事例で言えば、議会の傍聴券の行列代行があると、議会に参加する権利を売り物にすることで、それを卑しめ、侮辱する行為になり得るということを書いています。

また、公演でもアーティストによる有料のコンサートと市が開催する無料の公共公演では、意味合いが変わってくるということも比較しながら書いています。

市場と道徳というと、2008年の金融危機を思い出します。でも、実際には、もっと身近なところでも起こり得る問題なんだなと感じました。

日本人は真面目だから、こんな海外にあるようなビジネスはあり得ない。そう考える人もいるかもしれません。

でも例えば、日本でもSNSでの炎上事件が話題になることがあり、他人事ではないと思います。

ビジネスの倫理について考える機会ってあまりないし、そういう分野について書かれた本はあまり見ない気がするので、興味持った方はぜひ読んでみて下さい。

 

 

強く、美しく、切ない夏休み 『神様がうそをつく。』 著者 尾崎かおり(講談社、2013/9/20)

主人公のなつるは、小学6年生のサッカー少年だ。まだ女子の気持ちはわからない。だから、以前、クラスのリーダー格の女子のプレゼントを拒否し、女子にシカトされてしまう。それでも、サッカーがあるから、楽しかった。しかし、そんなサッカーも、ある日、楽しくなくなってしまう。コーチが代わって、つまらなくなってしまったのだ。
 そんな日の帰り道、なつるは足を怪我した子猫を拾う。しかし、母が猫アレルギーのため、家では飼えない。そんな時、引き取ってくれたのが、理生だ。理生の家には、両親がいない。弟との二人暮らしだ。理生は、いい子だった。親がいなくなっても、親を信じて家を守っていた。
 夏休み、なつるはサッカーチームの合宿にどうしても行きたくなくて、サボった。新しいコーチが嫌いだったからだ。行くあてもなく、ぶらぶらしていると、公園でなつるは理生に会う。あげた子猫「とうふ」の様子を見にくるか、という理生の誘いに乗り、そこからそのまま、理生の家で理生と、弟の勇太と、3人で生活することになる。クラスメイトの誰にも言えない、秘密の生活。一緒に買い物に行き、夏祭りに行き、楽しい生活だった。そこで、なつるは、自分が理生のことが好きだということに気づく。しかし、その最後に、なつるは、理生の秘密を知ってしまい、激しく動揺する。
 とにかく美しい絵、そして、それに勝るとも劣らない美しい、表現。自分にできることがあるかなんてわからない、それでも、相手のためになりたいという気持ち。相手を思いやるということ。守りたい、それでもどうしていいかわからない。子供ゆえに、不器用だが、それでもなんとかしよう、という気持ちが伝わってきて、一層美しい物語になっている。壊れそうな美しさに触れたい方に、ぜひオススメしたい一冊です。

ぶぶづけ(お茶漬け)でも、あがっておいきやす。『イケズの構造』著者 入江敦彦(新潮社、2009/3/1)

Q 

クイズです。京都人に以下の言葉をかけられた時コーヒーが飲めるのはどれでしょうか。
A 「コーヒーのまはりますか」
B「そない急かんでもコーヒーなと一杯あがっておいきやす」
C「喉乾きましたなぁ、コーヒーでもどないどす」
D「コーヒーでよろしか」

A
Aこれは京都では挨拶です。「へえ、おおきに」と相槌を打ちましょう。
Bはタイトルぶぶづけパターン(笑)です。勧められたら京都では断らないといけません。
Cこれは大変です。疲れを見せてきてます。「疲れたわー、早よ帰れやー」ってことなので、撤収しましょう。
Dが正解となります。感謝して飲みましょう。

京都は好かれているが、京都人は嫌われている。その理由は「イケズ」だからと。本書ではその京都人の『イケズの構造』について解き明かす。

本書では京都のイケズ代表として「千利休」があげられている。それは秀吉との朝顔の逸話である。
秀吉が朝顔が見たくてやってくると決まっている日に蕾を全て落とし、茶室に一輪だけ用意。
そして、千利休は「花を見て待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや」
(訳: (まだ花が咲かない春が来ないと)待っているだろう人に、山里に積った雪のあいだにわずかに芽吹いた若草にも春は来ていますと見せたいものです。)
この歌も藤原家隆の歌であるのもイケズである。そして、切腹する前最後に立てたお茶を飲んだあと、不幸な人が使った茶碗は良くないと、河原に投げ捨て切腹。京都人という目線で歴史を見返すと歴史も見え方が変わる。

さて、色々と京都のイケズについて紹介されているが、イケズは人を傷つけないためだという。直接人に言いたいことを言うと傷つけてしまう。例えば場違いな店に来てしまったお客さんに対しては恥を書く前にやんわりと追い出す方が、その人は恥をかかずに済む。人間関係の中では時には「優しい嘘」をつくのも大切かもしれない。それを遠回しに酷いことを言う、排他的だと言われてしまっている。しかしイケズとは人のことを考え、町のことを考え、長い歴史を守り抜いてきた京都人ならではである。「まぁ、わかったはる人はわかったはるちゅうこってすな」。

https://goo.gl/jlvU6P

イケズの構造 (新潮文庫)

イケズの構造 (新潮文庫)

片思いは諦めても終わらない『ナラタージュ』

求められたい。壊れるくらいに。こんなにも誰かに対して恋をしたことがある人はいるのだろうか。


 高校生の時、部活の顧問に憧れた人は、多くはないかもしれないが、珍しくもないだろう。主人公の泉もそんな一人だった。しかし、泉のその想いは、あまりに大きなものだった。高校を卒業し、大学に入っても、消えることはなかった想い。それは、彼からの電話によって、再び意識させられることになる。後輩の部活動への協力を求める電話。そんな他愛もない電話から、泉は再び彼を強く意識するようになってしまう。


 葉山先生は、優しい。それ以上に、甘く、弱い人間だ。泉への好意を一度は隠そうとするが、結局、再会した泉に対して、自分の気持ちを抑えることができなくなってしまう。自分を求めてくる泉の狂気的なほどの愛情にほだされ、自制ができなくなってしまうのだ。拒絶の態度を示すことはできても、貫徹することはできないのだ。ずるずると甘えを許し、泉の気持ちを膨らませてしまう。


 続いてしまった関係を終わらせるのは、泉の方だった。先生への愛が大きくなりすぎていたこと、その先では、自分だけでなく、先生も破滅してしまうことがわかっていたのだ。自分のことはめちゃくちゃに壊してほしい。それでも、先生には壊れて欲しくない。健気では済まないほどの献身。そして、関係が終わっても、想いは過去にならない。いつまでも苦しい幸福を抱えながら生きていくことになるのである。


 私は、読み終わってから、全身から力が抜けるような感覚を味わうことになった。恋をするエネルギーとその醜い必死さ、その必死さに感じる純真な美しさ。そして失われた時の虚無感と無力感、絶望感。それを思い出した時の痺れるような感覚と、胸の痛み、流れそうになる涙。こんなにも心を激しく揺さぶられる小説はほとんどない。ぜひ読んでほしい。

 

 

ナラタージュ (角川文庫)

ナラタージュ (角川文庫)

 

 

したたかに進化する『植物はなぜ薬を作るのか』 著者 斉藤 和季 (文春新書、2017/2/17)

植物成分といった言葉が持っているイメージ。”自然の恵み”、”自然からの贈り物”など、優しく、健康をもたらしてくれるものといった良いイメージを持っている人が多い。

しかし、これは人間側から見たときの勝手なイメージである。

植物の側から見たときは、どうだろうか。そういったことを植物はまったく考えていないとすると、植物はなぜ化学成分を作るようになったのだろうか。

本書は、そのような問いかけに答えようと、書かれた本である。著者は、千葉大学薬学部教授の斉藤和季氏で、薬学の世界に40年以上も関わっているとのことだ。

本書によると、植物は独自に発達させた生存戦略を持っている。同化代謝戦略、繁殖戦略、化学防御戦略の3つだ。同化代謝戦略とは、ここでは光合成のことであり、繁殖戦略とは、風媒花や虫媒花といった後代を残すための生殖活動のことである。そして、この3つの中で、本書のタイトルである『植物はなぜ薬を作るのか』につながるのが、化学防御戦略である。

植物は以下の化学防御戦略により、生き残ってきた。

・捕食者に対して、苦い味や渋い味、あるいは神経を麻痺させるなどの有毒な化学成分を作る
・病原菌に対して、その増殖を抑える抗菌性のある化学成分を作る
・日光や無機栄養塩などの必要な資源を競う他の植物に対して、その生長を抑えこむ化学成分を生産する

これらの化学防御戦略と進化により、結果的に人間にとって必要な薬を作り、人間を助けることにつながっていったのだ。

本書では薬が作られる仕組みの他にも、薬になった植物成分の身近な例やバイオテクノロジーによる植物成分の人工的な生産についての説明がある。また、所々で化学構造式が出てくるが、私のようにまったく理解できない人には、「挿絵やイラスト、マンガだと思ってください」と著者が言っているので、その点は安心してほしい。

それにしても、生存戦略をもって繁栄していく植物は、とてもしたたかな存在であることに間違いない。大地にしっかりと根を張り、生き続ける植物のしたたかさに思いを馳せるのも面白い。

社会の仕組みは、共同幻想!?『サピエンス全史』著者 ユヴァル・ノア・ハラリ(河出書房新社 、2016/9/16)

オバマ、マークザッカーバーグビルゲイツ堀江貴文池上彰絶賛の本、と聞いたら読まずにはいられませんよね。

そんな話題の本がサピエンス全史です。

アフリカ大陸の一隅で捕食者に怯えて暮らしていたホモ・サピエンスが、認知革命、農業革命、科学革命を経て地球上で繁殖し、生命設計のもと新たな超人を生み出そうとしているまでの歴史の過程がふんだんな事例、たとえ話とともに描かれています。

一番衝撃なのは、人類は虚構を信じることで集団を作り繁栄していったということ。
「宇宙に神は一人もおらず 、人類の共通の想像の中以外には 、国民も 、お金も 、人権も 、法律も 、正義も存在しない」
そう、私たちが信じていて当たり前だと思ってるものって全部サピエンスが想像で作り出したものに過ぎず、決して普遍ではないということを筆者ユヴァル・ノア・ハラリは突きつけてきます。
法律でご飯食べてる身ながら法律ではどうにもならないことに直面することも多くて、そんな中で人権とか正義とか法律とか結局虚構だよね、と言われるとすごく腑に落ちてしまう。ないものを形にする、信じる過程でどこかに齟齬が生じてしまうのは仕方がないことだから。

他に印象に残ったエピソードを紹介すると以下の通り。自分が普段もやもやと感じていたことが綺麗に言語化されていたりもしてます。
■小麦、稲、ジャガイモなどの植物種はサピエンスを家畜化し、繁栄した。
■鶏や豚などの家畜も数は増えておりその意味では生物として成功しているが、個体としては悲惨な一生を送っている。
■ヨーロッパは世界のはずれに過ぎなかった。しかし神や王が万能であり無知を認めなかったのに対し、ヨーロッパでは知らないということを認めることで科学革命が発生する素地ができた。
■「男らしさや女らしさを定義する法律や規範 、権利 、義務の大半は 、生物学的な現実ではなく人間の想像を反映している 。」
■「人間の力は再三にわたって大幅に増したが 、個々のサピエンスの幸福は必ずしも増進しなかったし 、他の動物たちにはたいてい甚大な災禍を招いた 。」
■人類は、生命を設計して作り出すことを始めた。これにより、ホモ・サピエンスそのものを変えようとしている。

とにかく作者のハラリさんの知識の豊富さに裏付けられたエピソードが満載なのが飽きさせないし、生命保険の起源とかも出ていて、本を読んだ後にドヤれる話がいっぱいなのも素晴らしい笑
ゴールデンウィークに予定のない方や、旅行で移動時間が長い方は是非トライしてみてください!

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

本当に豊かな生き方とは『天才柳沢教授の生活』 著者 山下 和美(講談社、1989/9/22)

主人公の柳沢良則はとある大学の経済学部教授である。歩くときはいつも直角に曲がり、夜の9時には就寝、朝の5時半に起床、という規則正しい生活を送ることを特に重要視している。

しかし、彼は決して機械のような人間ではない。むしろ、誰よりも豊かな感性を持ち、幸福であると言える。特に、好奇心は大変強く、疑問を持てば、子供に対しても問うことを厭わない。これはすごいことだ。多くの人は、知らないことでも知ったかぶりをしてしまうものだ。特に、子供に対しては、なんでも知っているように振舞ってしまう。彼は、知らないことは知らないと言い、共に疑問を感じた人物と協力してその疑問を研究しようとする。彼は疑問が解けた瞬間に至上の喜びを感じ、そのためなら、人道に反しない真似であれば、恥ずかしい、などと感じることはない。これは、プライドがないからではなく、相手を尊重する気持ちが強く、それは、相手が幼児であったとしても、崩すべきではないと考えているのだ。

他の登場人物にも、魅力的な人物が多い。その中でも、特に紹介したいのが第68話に出てくる夫婦である。この夫婦は、両方とも研究者で、夫は元大学長で、妻も教授になったばかりであった。しかし、妻は教授になってすぐに、大学を辞めてしまう。これを惜しく感じていた柳沢教授は、半年後にその夫妻の家を訪れる。そこで彼が目にしたのは、夫の専攻であった植物学を学ぶ妻と、妻の専攻であった経済学を学ぶ夫の姿であった。夫婦は、愛し合い、相手のことを知るに連れ、相手の研究分野にも興味が湧いたのだ。築き上げてきた地位よりも、より深く知りたいと思ったことをより学ぶことのできる環境を優先する、その思い切り。相手のことを知るにつれ、その研究分野にも興味を持ち、研究するほどの好奇心。その姿をみて、柳沢教授は、彼らの飽くなき学問欲に感嘆し、満足気な笑みを浮かべるのである。そして、帰路、彼は空き地に咲いた名も知らぬ花をノートにスケッチし、「この花の名は?」と書き込むのである。

自分の興味をとことん追いかける楽しさ、その喜び、そして新たな分野に疑問を持つ素晴らしさを、柳沢教授を通じて体験することができる。本書は、本当にやりたいことをすることに対し、不安を感じている人にほど読んでほしい名著である。

あなたは操られている『コミュニケーションのための催眠誘導』著者 石井 裕之(光文社、2006/5/2)

「なんとなく」好きになった人と付き合った経験はありませんか?
なんでこの人が好きなのかうまく言葉にできない。
そういう経験は誰にでもありますよね。

いつも食べているお菓子を買おうとしたけど、なぜか横にあるチョコレートを買ってしまった。「なんでそれ買ったの?」と聞かれてもうまく答えられない。なぜならそこに論理的な理由はないからです。「なんとなく」そう感じてしまうのです。

では、この「なんとなく」はどうして起こるのでしょうか?

本書では「なんとなく」がなぜ起こるのかを解説し、そしてこの「なんとなく」の使い方を教えてくれます。つまり「なんとなく」を意識的に相手に起こせるのです。

この最強のスキルを紹介するのは、「コールドリーディング」という技術を日本に広めた石井裕之さん。

「コールドリーディング」とは占い師が使うテクニックの1つ。占い師が相手の過去や性格をドンピシャで当てたりしますよね?あれは知っていれば誰にでもできるテクニックなのです。超能力も水晶も必要ありません。その技術を日本に広めたのが著者です。

とは言え、習得するのが簡単ではありません。楽に会得できるなら今ごろ大金持ちやモテモテの人が世の中に出回っているはずです。本書を読んで学べるのは、自分の欲しい結果に相手を少しづつ誘導できるスキルです。決して魔法ではないのです。

人を騙したり操ったりするテクニックでもありません。コミュニケーションを円滑に行うためのスキルです。そのことを忘れずに本書を読んでみてください。あなたのこれからが、きっと変わります。