主人公の柳沢良則はとある大学の経済学部教授である。歩くときはいつも直角に曲がり、夜の9時には就寝、朝の5時半に起床、という規則正しい生活を送ることを特に重要視している。
しかし、彼は決して機械のような人間ではない。むしろ、誰よりも豊かな感性を持ち、幸福であると言える。特に、好奇心は大変強く、疑問を持てば、子供に対しても問うことを厭わない。これはすごいことだ。多くの人は、知らないことでも知ったかぶりをしてしまうものだ。特に、子供に対しては、なんでも知っているように振舞ってしまう。彼は、知らないことは知らないと言い、共に疑問を感じた人物と協力してその疑問を研究しようとする。彼は疑問が解けた瞬間に至上の喜びを感じ、そのためなら、人道に反しない真似であれば、恥ずかしい、などと感じることはない。これは、プライドがないからではなく、相手を尊重する気持ちが強く、それは、相手が幼児であったとしても、崩すべきではないと考えているのだ。
他の登場人物にも、魅力的な人物が多い。その中でも、特に紹介したいのが第68話に出てくる夫婦である。この夫婦は、両方とも研究者で、夫は元大学長で、妻も教授になったばかりであった。しかし、妻は教授になってすぐに、大学を辞めてしまう。これを惜しく感じていた柳沢教授は、半年後にその夫妻の家を訪れる。そこで彼が目にしたのは、夫の専攻であった植物学を学ぶ妻と、妻の専攻であった経済学を学ぶ夫の姿であった。夫婦は、愛し合い、相手のことを知るに連れ、相手の研究分野にも興味が湧いたのだ。築き上げてきた地位よりも、より深く知りたいと思ったことをより学ぶことのできる環境を優先する、その思い切り。相手のことを知るにつれ、その研究分野にも興味を持ち、研究するほどの好奇心。その姿をみて、柳沢教授は、彼らの飽くなき学問欲に感嘆し、満足気な笑みを浮かべるのである。そして、帰路、彼は空き地に咲いた名も知らぬ花をノートにスケッチし、「この花の名は?」と書き込むのである。
自分の興味をとことん追いかける楽しさ、その喜び、そして新たな分野に疑問を持つ素晴らしさを、柳沢教授を通じて体験することができる。本書は、本当にやりたいことをすることに対し、不安を感じている人にほど読んでほしい名著である。