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堀江貴文イノベーション大学校(通称HIU)公式の書評ブログです。様々なHIUメンバーの書評を毎日更新中。

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【書評】やっぱキングダムよりこっちかな。『三国志』

 

大昔の中国の戦記物。その代表格とされているのが三国志である。
国を三つに分けた国盗り合戦であり、その三つとは曹操の魏、孫権の呉、そして劉備の蜀である。
本作では、蜀の劉備を主人公と捉えて描かれているのだが、昔の中国では、国ごとに各々の歴史を書したものを遺しており、三国志については蜀史をベースにしているからというのがその由縁だ。
なので、本来の三国志とは、日付と何が起きたかの記録史であるのだが、その後に物語性を加えられ世に現れたのが、通俗歴史小説三国志演義である。
本書も含め、通常知られている三国志とは、この三国志演義が元になっているのである。

確かに、劉備には主人公たり得る素地は多い。
まず、貧しいものの、家柄は前漢の王様の末裔。
滅んでしまった漢を復興させようという至極真っ当な志。
張飛関羽との出会いから、「我等三人生まれた月日は違えども、同年、同月、同日に死せん事を願わん」と、有名な桃園の誓いによって義兄弟の契りを結ぶ、というドラマ性。
そして、徳の人という善人イメージを前面に出しているという具合。
でも、劉備は意外にも窮地の際にはことごとく家族を捨て去って逃げの一手だったりもしているのだけれども。
まぁ、この時代の中国に於ける「義」というものは、現代社会から考えると理解できない類いのものなので、これも仕方がないのかもしれない。
例えば、劉備達三人が、一夜の宿を求めて老人と娘の二人っきりの民家を頼る。
食卓に娘が姿を見せぬことを不思議に思い、老人に尋ねると、老人は「折角お寄りいただいたのに食事も出せないのでは申し訳ない。その為に娘は・・・」と言うのである。
劉備たちの腹に収まったのは娘の肉という訳で、これに劉備達も感激する、という挿話があったとどこかで読んだか聞いた記憶がある。これを当時の「義」というのだと言うのだが、ちょっとしたオカルトであり、さすがに現代の三国志ではカットされている。

それにしてもさすが中国で、物語のスケールが兎に角でかい。この当時の中国は、現代に比べてみれば、その国土とされた範囲は相当に狭いとは言え、それを三つに分けたのだから、関わる人員もそれぞれ膨大である。
一度の出兵で何万人もが死ぬ。たった一日の小競り合いで数千人が死ぬ。
そして一旦始めた戦は永年続く。
この三国志にしてみても、日本で言えば卑弥呼邪馬台国の時代から始まって、100年以上続く物語であるのだ。
日本に於ける最大規模の闘いであった関ヶ原ですら、実際の戦に要した時間は八時間に過ぎない。
しかも、この三国志は、劉備曹操孫権の時代までしか描いておらず、その後の展開が面白みに欠けるという理由によって、結局どの国が全土を治めたのかまでキッチリと書くことを放棄して終わっているのだ。
なんとも壮大な、世紀を股にかけた戦史なのである。
ジョン・ウー監督の『レッドクリフ』などという、アホっぽいふざけた映画を観て満足していてはならない。

なお、三国志は数多くの作家が小説を書いているが、今回取り上げたのは吉川英治版である。
戦時中の1939年から1943年まで新聞連載されたもので、当時絶大な人気を博した、ザ・三国志とでも言うべきものである。

三国志
作者:吉川英治
発売日:1989年4月11日
メディア:文庫本