斎藤道三、織田信長、緒方洪庵、土方歳三、坂本龍馬、正岡子規、秋山真之、、、。
司馬遼太郎氏の数々の歴史人物に対する愛情は半端ない。つまりは人間への愛情が半端ない。彼の小説は、私たち人間への愛と優しさに満ち溢れているのだ。
21世紀に入りもう20年が経とうとしている。
本書は、著者が日本の行く末を憂い、1987年・1989年に小学校5・6年生の国語の教科書のために書いた作品だが、評者は今でも本書をよく読み返す。
ここには、人間にとって最も大切なことが、凝縮されているように感じるからだ。歴史人物に対する好奇心に満ち溢れた人生を送った著者だからこその、私たち現代人への愛と優しさが詰まっている。
私たちはいつの時代にも、自然に対する畏敬の念を忘れてはいけないと、著者は語る。
20世紀という時代は、ある意味では自然への恐れが薄くなった時代だった。しかしどんなに科学技術が発展しようとも、「我々が自然によって生かされている」ということは、いつの時代においても、不変の事実である。
そして私たち人間は決しておろかではない。21世紀の人間はよりいっそう自然を尊敬するようになるだろうと、著者は希望を持っていた。自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬し合うようになるに違いない、と。
果たして私たちはそうなれているのだろうか。なれていないとしたら、足りないものはなんだろう。
私たちにとって大切なのは、すなおさではないだろうか。自然や他者に対し、すなおに尊敬できる態度が必要とされているのではないか。
そしてそのために私たちは、自己を確立しなければならない。
すなおでかしこい自己を。
人間は決して孤立して生きられるようには作られていない。助け合って生きるように作られている。
それでは、そんな気持ちや行動のもとはなにか。
それは、他人の痛みを感じる心。つまりはやさしさである。
私たちはこの心を、訓練して身につけなければいけないのだと、著者は伝えている。やさしさとは決して勝手には身につかない。訓練が必要なのだと。偽善でも自己満足でも、それはきっと姿勢の問題なんだと思う。
著者が数々の本を書いてきて伝えたかったのは、ひょっとしてこのことではないだろうか。
他人の痛みを想像する力を、日々訓練する。これが生きるということなのではないだろうか。
SNSによるコミュニケーションが主流となり、人と人の物理的距離が離れた現代だからこそ、想像力ややさしさがより一層必要になる。やさしさとは強さなんだと、評者は思う。