私たちがよく目にする写真の夏目漱石は、いつも物憂げで思慮深そうな、澄ました顔をしている。これぞ”日本の小説家"という顔である。近代日本文学の頂点に立つ作家の一人なのだから、それは当然文句のつけようもない。
しかし本書での彼は、小心者で、臆病で、頑迷で、優柔不断。酩酊したり、癇癪をおこしたり。とても弱くて、欠点だらけである。彼だって、ちっぽけな一人の人間だったのだ。しかしだからこそ、とても生き生きとして、愛らしく感じられてくる。
そんな漱石の目から見た明治時代とは一体どんなものだったのか。「坊ちゃん」を書くことを創起して、完成させるまでの苦悩と葛藤を、関川夏央氏の気鋭の原作と、谷口ジロー氏の繊細かつ迫力ある画力で、みごとに描き切る。
”ぼくにはこの国がどこに行こうとしているのかとんとわからない
新時代新時代と浮かれる軽佻浮薄の輩を多少からかってみたくなった”
小説「坊ちゃん」を書こうと決めた時の彼の言葉である。
俯瞰的な目で世界を眺めていた漱石。その言葉にはどこか余裕さえ感じる。
しかし漱石にとって、執筆は神経のささくれを寝かせるのに必要な行為であり、生存の条件であった。
漱石が神経症を煩っていたのは有名な話である。そして英国での留学体験は明らかにそれを病症にまで高めた。英国で、彼は常に自分が監視されているという不安を抱いていた。彼は英文学者でありながら、英国嫌いだった。
漱石は西洋に学びつつ、西洋に距離を置いていた。そしてこれは当時の多くの日本人に共通する葛藤でもあった。
その苦しみを、漱石は「坊ちゃん」を執筆することによって吐き出すことで、なんとか自我を保っていた。漱石には文学的野心はなく、ただ自己の精神の解放と慰安が目的で小説を書いていた。西欧との戦いや旧日本的な「家」のしがらみが彼を苦しめ、それらから自由でありたいという強い希求が漱石の小説創作の根源的動機であった。
そんな漱石が「坊ちゃん」を描くことによってどのように救われたのか。それとも苦しみ続けたのか。是非本書を読んで、谷口ジロー氏の描く夏目漱石の苦悶の表情をお楽しみいただきたい。
ところで評者は、夏目漱石の作品を今一度じっくりと読んでみたくなった。読書の秋は漱石作品で感傷にふけってみるのもいいかもしれない。