読書をテーマに、フジモトマサル氏が描いた絵に答えるかたちで、吉田篤弘氏が考えた小咄を集めたものである。
人はなぜ読書をするのだろう?
評者も本好きだが、「本の虫」とか「活字中毒」ってほどではないと思う。今までに読んだ本の数だって、そんなに多くない。あまりに分厚い本だと尻込みするし、うわー嫌だなーとさえ思う。時々嫌になってYouTubeやNetflixばかり見ていたりする。それでもやはり、本のない人生は考えられない。
本を書く側の人である吉田篤弘氏でさえ、ついうっかり、映画と音楽とインターネットに山ほど時間を捧げている、なんてことがあるそうだ。
そんなときが続くと、ふいに砂漠の真ん中で、ひからびた水筒をひっくり返しているような渇望におそわれるらしい。そうして本棚に立ち戻る。
”そのときの本たちの、なんと寡黙で優しげなことか。置き去りにされていたことを恨むことなく、静かにこちらの記憶をほぐしながら、忘れていたことをひとつひとつ示してくれる。”
考えてみると、本というのは、白い紙に黒い文字がただ並んでいるだけ。こんなのを読んで面白がっているなんて、変態のような気がしてくる。ドラマとか映画の方がよっぽど楽しいやろって思う。
だけど最近は、何もかも完成されたものが多すぎて、本のこうした、ぶっきらぼうな感じが逆に良いのかもしれない。読者に自由に色付けを任せて、まさに読んだ人の数だけのストーリーが出来上がる。こうした本特有の”自由度”に魅了されて、読書がやめられないのかもしれない。難点は、一度はまると抜け出せないことである。
フジモトマサル氏の描く、読書に熱中する動物たちの絵も、シュールな吉田篤弘氏の世界観と絶妙にマッチしている。ずっと眺めていられるかわいさである。