主に脳血管障害の後遺症として発症する失語症。スムーズに話すことができない非流暢性失語、話すことはスムーズだが意味の通らない言葉を言ってしまう流暢性失語などいろいろなタイプがある。本書は、その失語症の解説もさることながら、失語症の源流すなわち失語症の歴史についてまとめられている。失語症の解説本は多く出ているが、歴史について詳しく触れている本は少ない。失語症について昔はどのように考えられていたのか、その変遷が分かる一冊だ。
高度救命医療により、それまでの時代では救えなかった命が救えるようになった。それに伴い、それまではあまり見られなかった後遺症が目に見えるようになってきている。そういった事情から、失語症の歴史自体はとても浅いものではないかと思っていた。しかし、紀元前17世紀のものと推定される古代エジプトの医療に関する書物には言語障害に関する少なくとも5例の記載があるということ。その時の原因はいわゆる頭部外傷であり、現代の原因として多い脳梗塞や脳出血ではないが、そんな大昔からも言語障害に関する知見がある程度蓄えられていたことに私は驚いた。
それでは日本ではどうだろうか。日本では故大橋博司氏が1967年に『失語症』という本を記した。また、1982年には秋元らがヨーロッパにおける神経心理学の主要な研究論文を19世紀にまで遡って直接参照し、訳出した。そのおかげで日本における失語症の分野が発展したとのことである。ということは日本における失語症の学術的な歴史はまだまだ浅いといえるだろう。それまで失語症状を示す患者はいたはずだが、日本では失語症という概念が無かったために記憶障害や認知症等と混同されていたのだろうか。本書だけではそれが分からない。
著者の小嶋知幸氏は失語症の認知神経心理学的アプローチを提唱し、数多くの失語症に関する書物を出している。正に失語症の専門家であり、失語症分野に関わる人で彼を知らない人はほとんどいないだろう。失語症の解説や分析に関わる本は数多く出しているが、本書は失語症の歴史に焦点を当てるという他の本にはない構成となっている。
本書は普通に買うと3500円+税ということで、なかなか高めの本ではある。失語症領域やリハビリ領域の本ということを考えると特別高いわけではないが、一般的には高いだろう。失語症について目に見える症状だけではなく、俯瞰して学んでみたいという方にオススメだ。また、この書評では歴史についてばかり書いたが、大脳局在論、古典的言語情報処理モデル、認知神経心理学、失語症状の説明など解説部分も充実している。失語症領域に関わる人以外には敷居が高いかもしれないが、歴史などの読み物としても読めるので、本屋で少し手に取ってみてはいかがだろうか。