「わかる」とはどうゆうことなか。それがよくわからないから、養老 孟司さんなりに説明してみようかと始まって書かれた一冊です。
最初に、他者の心を理解できるのは人間だけだそうで、幼少期の人間とチンパンジーの比較実験から詳しく述べられてます。相手の立場に立って物事を考えられるのは意識が働く人間だけのよう。
そして、聞くだけでは話せるようにはならないんだそう。インプットとアウトプットが伴なわうことで初めて学習になり、身体を動かし話すことで人は喋れるようになる。ハイハイをしている赤ちゃんにビデオだけ見せても何の意味もなく、外国語の練習も聞くだけではダメで、話す練習をしなければ習得にはならない。
また、体験してわかることと、頭でわかることも大きな違いで、旅行を実際にすれば身体を使い、体の底から納得し体験します。指先だけでググって身体の使いようがない頭だけの旅行とは大きな違いがあると説明してます。
納得感があったのが、個性というのは、性格や心ありようだと考えがちだが大きな誤解だということ。個性とは生身の身体そのもので、顔が違い、立ち振る舞いや背格好や肌の違いそのものが個性。その証拠に、たとえ親子同士であっても皮膚をとって移植しても絶対にくっつかず、これこそが個性なんだという説明。解剖学を専門とする養老さんならではの説明で面白いです。
さらに、古典芸能や茶道や剣道に型がありますが、身につければ身につけるほど同じにならず個性がでてきます。それは人それぞれ身体が違うからこそであり、反復して身体に染みついたものが知識であり教養と説かれてます。
脳とAIの違いも身体があるかないかが最大の違いでアルゴリズムや計算が得意ならAIにやってもらえばよく、人間とオートバイが競ってもなんの意味もないと説いてます。(堀江さんも同じような事言ってましたね)
今後AI化が顕著になり、ますます身体が伴わない脳化社会になって何が大切なのかが分からなくなります。田舎に行き自然を相手にする事で身体を使って感じる大切さを説いてます。
HIUでは身体で感じ行動する事を是としているので、この本の至るところに共感を覚えました。やはり考えるだけでは意味はなく、身体を使い行動してみることに価値があり、それが「わかる」ということ。
頭だけを使った体験だけでは人生は貧しくなっていきます。自然の中に飛び込んでみて身体を使い豊かな人生にしていきたいですね。