本書は、レイモンド・チャンドラーの二作目の長編で、1940年の作品である。著者の二大傑作と言われているうちの一冊だ。
もう一冊は1953年の作品『長いお別れ』で、両作品共、最近になって村上春樹の新訳版が出版されたりもしている。
主人公は、言わずと知れたフィリップ・マーロウだ。著者の長編作では決まって彼が主人公である。タフで肝の据わった、口の減らない私立探偵だ。
本書では、二作目だけあってマーロウも若く、行動的で次々と事態が進展し続けるし、なかなかのモテっぷりも発揮している。
そして、よく殴られる。
この辺りの暴力性が、その後の犯罪小説では強調されることが多くなった。それらの多くは、ハードボイルド小説と言うよりも、暴力小説と読んだ方が相応しいと私は思う。
チャンドラーの作品数は決して多くはなく、長編は七作しかない。
幾つかの中編を組み合わせて、再構成させる手法が殆どである為に、話があちこちに飛んだりもするから、難解な印象を持つことが多い。
短編集を読んでみると、案外にシンプルで判り易いと思うかもしれない。
また、しばしば映画の脚本も書いており、アルフレッド・ヒッチコックの作品でも脚本に参加していたりするので、機会があれば観てみるのも楽しいかもしれない。
ハードボイルド小説は、アーネスト・ヘミングウェイを祖とし、ダシール・ハメットが探偵物でその作風を活かして大成させ、レイモンド・チャンドラーが完成させたと言われている。
ハメットが、元ピンカートン探偵社のエージェントだった経験を活かして作品を作り上げたのに対し、チャンドラーは大恐慌の影響で石油会社の重役の職を失い、生活の為に筆を執った。
チャンドラーの登場は、それまでゴミの様に扱われていたパルプ・マガジンのクライムストーリーを文学に押し上げた。その秘訣は流麗な文体にある。
アメリカのハードボイルド小説家の数は多い。名作家と呼ばれる何人もの人々の作品も読んだことはあるが、私にはチャンドラーほどには楽しめなかった。それは、恐らくチャンドラーが幼少期から23歳まで、イギリスを主として欧州で育ったことと関係があると思う。アメリカのとっちゃん坊やが書く文章とは、自ずと変わってくるのであろう。
今回、本書を何十年振りかに読んでみたのだが、出だし以外をすっかり忘れていて、やや驚いた。
だが、そのお陰で改めて新鮮に名作を愉しむことが出来た。
因みに、アニメ『コードギアス』での名セリフとされている、「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」は、マーロウがオリジナルなのである。