ハードボイルド小説を、探偵小説や犯罪小説、ましてや暴力小説と解するのは間違いだ。ハードボイルドの世界を押し開いたと言われるアーネスト・ヘミングウェイの作品を読んでみれば、それは明らかとされるだろう。
ハードボイルドとは、感傷や叙情から遠く離れ、物語に登場する人物たちをドライな視点で捉えるその文体自体を表すものだ。だから、そこには拳銃も死体も酒場も必須ではないのだ。
そういう訳だから、矢作俊彦の比較的初期の作品を偏したこの短編集にも、様々なシチュエーションが存在している。
ダットサン510のフロントグラスにタバコを押し付けて消す度に、舌打ちしてウェスで綺麗に拭き取る彼は、ヤクザな男を刺して刑務所から出てくる女を出迎えにきただけだし(「A DAY IN THE LIFE」)、米軍キャンプのパーティーに柄にもなく憧れの娘を伴った彼は、腹を刺されて駐車場でスティングレイの運転席に休みながら、死にかけていた(「レイン・ブロウカー」)。
兄貴分を始末しなければならなくなった彼は、たまたま再会したシンガーの女と行動を共にし、彼女のしがらみを乱暴な手段で解いてやったあとに歯を磨くだけだし(「バス・ルームシンガー」)、シンガポールへ渡った彼は、組に迷惑をかけた男の頭を44口径の弾丸で顎だけを残して吹っ飛ばしたあと、父親の思い出を聞かされ続け、憧れを抱いていたラッフルズホテルのシンガポール・スリングを飲んで失望する(「バウ・ワウ!」)。
パナマ島で、元イギリス海軍提督の元に誇りを持って仕えているインド系の彼は、尊敬に値しないことを知った時、自らの境遇を躊躇なく撃ち抜いたし(「敗れた心に乾杯」)、わざわざ中東の内戦の真っ只中まで訪れたにも拘わらず、本懐を遂げられずに立ち去るだけの男もいた(「サタディ・トワイライト・スペシャル」)。
マドリードで一組の男女が過ごした数時間の出来事を描いた表題作は、ヘミングウェイの初の長編であり出世作でもある『日はまた昇る』をなんとはなしに彷彿とさせ(「死ぬには手頃な日」)、最後には書き下ろしで、続けてマドリードを舞台とし、バルのほんのひと時を描いた、淡白と言えばそうとも言える、クールな一編で本書を締めくくる(「挫けぬ女」)。
これらの作品に共通しているのは、端正で乾いた文体であるのだが、それだではなく、作品に登場する彼ら彼女らを突き放す様な一種投げやりな残酷さが、読者にカタルシスという置き土産を与えてくれるのだ。