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堀江貴文イノベーション大学校(通称HIU)公式の書評ブログです。様々なHIUメンバーの書評を毎日更新中。

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【書評】そんなものは、ありゃあしないんだ。『ららら科學の子』

 

矢作俊彦というのは器用な作家である。
そのテーマというのか、趣旨とでもいうのかによって、作品毎に文体を書き分けてみせるということが出来るのだ。
本作では、19歳の時に中国に密航したが、文化大革命下放を経て三十年振りに日本に戻ってきた男が主人公だ。
その為なのだろう。語り口はシンプルというか、スパン、スパンとぶった斬った様な形を採っている。
その気になればレイモンド・チャンドラーを彷彿とさせる様な比喩に富んだ文章だって書けるというのに、だ。
勿論、だからと言って決してその文章に粗さを感じさせることはない。ただ単に端的な物言いというだけであって、なんとも絶妙と言える塩梅なのである。
さらには、主人公を「彼」と呼ぶ三人称形式でありながら、「彼」の視点で物語を紡いでいき、また、その心情に関してもつぶさに表現している。ということはつまり、もうデビューした頃のハードボイルド作家というものに囚われている訳ではない、ということだ。ハードボイルド小説とは、客観的な視点で、ドライに事実だけを書き表わす形式の作風であるのであり、本書は純文学の類とも言える出来栄えで、やはり1990年代に入ってから、著者が作風の幅を広げてきたその成果が如実に感じられるのである。
そこで作品を面白くさせる為に肝となる大事なことは、「彼」のキャラクター造形及び、その表し方となる。それと、今現在日本に居る「彼」を取り巻く人々にも勿論興味を引く訳なのだが、物語自体がやや平坦な展開をしている割には、続きが気になってついつい読み進まされてしまう当たりからして、そういった作劇も良い具合に成功している作品と言えよう。

三十年前。
殺人未遂で指名手配されたことも無関係ではなかったが、国を捨てること、それが主題の行動だった。
その「彼」は、密入国を果たし、東京へとやってきた。
変わり果てた様で、昔からこうだった様な気さえしてくる街並。中国の片田舎の村ではお目に掛かることのない現代日本のモノたち、ヒトたちに戸惑ったり、不思議なほど驚かなかったりもする。
もっとすべてが新しくなっている筈だった日本。だが、あちこちが、ただ汚くなっただけに見えた。
「片すかしを食ったってところだ」
そう言いながら、「彼」は三十年前に気まずく別れたままの旧友、何ひとつ別れの言葉も残さないまま袂を分かった父、母、妹の消息を慮る。
また、身の置き所も無い筈の現代の東京で新たに出会った、日本で生きる人々との遣り取りもまた面白い。
この作品を書いていた頃から、また更に二十年が経過している。その為、今この物語を読むとすれば、当然それなりにギャップはあるだろう。
しかし、「彼」を中心に据えながら展開していく物語は、当時のことを想像力で補完さえ出来れば、とてつもなく読み応えたっぷりだと思う。

本作は、1997年から連載され、2003年に完結、単行本化された。そして、2004年に第17回三島由紀夫賞を受賞している。
映画監督の川島 透から、「ららら」を付けた方が絶対にいいと言われ、ああ、なるほどと思ってその案を採用したと言うこのタイトルは勿論『鉄腕アトム』の主題歌からの引用だ。
で、その示唆するところは何か?
三十年振りに生まれ故郷へ独り戻ってきた「彼」が選択するのはなんだろう?

ららら科學の子
作者:矢作俊彦
発売日:2006年10月10日
メディア:文庫本