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堀江貴文イノベーション大学校(通称HIU)公式の書評ブログです。様々なHIUメンバーの書評を毎日更新中。

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【書評】生きていかなきゃならない夜がまだいっぱいありすぎる。『過去ある女―プレイバック』

 

ハードボイルド小説作家の大家であるレイモンド・チャンドラーは、その活動期間の中盤の或る時期に於いて、シナリオライターとしてハリウッド映画界にその身を置いていた。とは言え、自らの小説の映画化に携わったことは殆ど無かった。
他の作家の映画化のための脚本に携わった「深夜の告白」ではアカデミー賞の候補にも選ばれたり、オリジナル脚本を執筆した映画「青い旋律」もヒットし、この脚本でもアカデミー賞にノミネートされた。
その当時のシナリオライターとしてのチャンドラーの株は最高値を示していたのだった。
そして、ユニバーサル映画社は、破格の条件を提示して、チャンドラーにオリジナル脚本の執筆を依頼する。
執筆期間中、週四千ドル、さらに映画が興行的に成功した場合、利益の一部が比例配分で保証されるというものだった。
二度に亘って期限を延期したうえで、1948年3月24日にチャンドラーが脚本を完成させた時の映画界は、戦後の不況の余波の中にあった。ユニバーサル社はこの企画を進めることを反故にせざるを得なかった。
本書は、37年後にユニバーサル社の資料室から発掘された、その製作がキャンセルされた映画の脚本の最終稿である。
チャンドラー自らが「私が書いた映画脚本の中でも最高のひとつ」と言い放ったというもので、実際、台詞といい展開といい、キレキレで小気味のいい作品となっている。これが映像化されなかったのはなんとも残念だ。きっとフィルム・ノワールの逸品となったであろうと思うと実に惜しい。
惜しんだのは、当のチャンドラーも同様だったに違いない。10年後の1958年に、チャンドラーはこの脚本を元にした一冊の長編を生み出した。
氏の七作目であり、最後の長編「プレイバック」である。

長編小説に於いては、チャンドラーは一貫して私立探偵 フィリップ・マーロウを主人公に据えた第一人称形式のものしか書く気は無かった。
だが、映画脚本ではマーロウ若しくは同類の主人公は登場しておらず、それを小説化するには大変な苦労があった様だ。
結果として脚本のエッセンスはかろうじて残しつつも、仕上がったものは雑でドタバタとした印象を与えるものであり、不遜ながらチャンドラーの作品としては、出来の良いものとはとても言い難い。
脚本では、本書評のタイトルの様なキレのある台詞を放ち、むしろ主人公然としていたベティ・メイフィールドも、小説に於いてはまるで別人の様に思えるのであった。

過去ある女―プレイバック
作者:レイモンド・チャンドラー
発売日:1986年7月10日
メディア:文庫本