HIU公式書評Blog

HIU公式書評ブログ

堀江貴文イノベーション大学校(通称HIU)公式の書評ブログです。様々なHIUメンバーの書評を毎日更新中。

MENU

【書評】「柳は緑、花は紅」。私たちは自然の一部でしかなくて、身構える必要などない。スタジオジブリ・プロデューサー鈴木敏夫氏が三人の禅僧と禅問答。『禅とジブリ』

f:id:SyohyouBlog:20200418204424j:plain

ジブリ作品には、禅としても学べることがたくさん詰まっています。禅で、梁の武帝が「お前は何者だ」と達磨に訊くと、達磨は「不識(わからない)」と答える、という問答があります。そして「もののけ姫」では、ヤマイヌのモロが主人公の少年アシタカに「お前にサンを救えるか」と訊く場面があります。それにアシタカは「わからぬ」と答える。その後に続けて「だが、共に生きることはできる」と言います。これは、達磨の言った「不識」ではないでしょうか。私たちは、明日の天気もわからないような存在です。けれども幸せを祈って生きていくことはできる、というのが仏教の根底にある思想です。「不識」、つまりわからないことこそが人生なんです。むしろわかってしまったらおもしろくない。

もののけ姫」を見て著者が思ったのは、「これは新人監督の作品だ」でした。著者と宮崎駿監督に共通するのが、何でも忘れちゃうこと。あれだけ映画を作ってきた宮崎監督が、新しい映画の制作に入るときの口癖があります。「作り方忘れちゃった」。いつでも初心に戻れる。たとえば、「もののけ姫」を作るとき、絵コンテを見て、その初々しさにとにかく著者は驚いたそうです。それまで培ってきたカット割りだとか、空を飛ぶシーンだとか、自分の得意技を全部封じたんです。それまでの作り方を全否定した。著者は、この人は五十歳を過ぎてもこんな初々しいものを作れるんだ、と驚いたそうです。禅では「日々是好日」という言葉があります。「いい日ばかりじゃないけど、いかにいい日にしていくかが大事なんだ」というのがこの言葉のメッセージです。とりあえず今日、そしてめくったら忘れる。そうやって生きていくことが幸せに生きるということなのかもしれません。

魔女の宅急便」を作るときに、宮崎駿監督と著者が考えたのは、「空を飛ぶ能力は特別か」ということでした。それで、「特別ではない」と決めた。絵がうまいとか、走るのが速いといった、誰しもひとつは持っている得意なことに過ぎない、と。この作品では、ある日急に飛ばなくなった魔女のキキが、友人の少年トンボを助けるために、また空を飛ぶ。これって私たちにもあることで、心が傷ついて当たり前にできていたことができなくなり、無心になった瞬間に、またそれができるようになる。キキがまた空を飛べるようになったのは、風邪を引いて寝込む、あの場面があったからなのかも。自分にベクトルを向ける座禅のような時間だったんじゃないでしょうか。そうすることで、自分なりの答えが出てくると。自分との対話をすることで、自己を確立していないキキが自分になるプロセスを映画にしたのかもしれません。

細川住職が著者とお話ししていて思い出したのは、「喫茶去」という禅の言葉だったそうです。趙州という和尚は、修行したいと僧がやってくるたびに、「喫茶去(お茶をどうぞ)」と言ったそうです。どんな人に対しても無心で「お茶をどうぞ」と言う、そこが趙州和尚の喫茶去という言葉のすごさ。著者はどんな方に対しても本当に自然体なところが、まさに喫茶去だな、と思ったんだとか。「喫茶去」。なんだか程良く力が抜けていて、とても良い言葉ですね。

禅が目指すのは、禅だけが至れる場所ではなく、それぞれほかの道からでも行ける場所。禅はひとつの手段でしかありません。仕事にしても遊びにしても、それぞれの人が目の前のことに没頭して、いろんなものを背負って行き着いた境地は、禅僧が求める「無の心」だったりするのかもしれません。そうやって人々が目指し、辿り着く場所を、先人たちは禅と名付けたのではないでしょうか。

 

禅とジブリ

禅とジブリ

  • 作者:鈴木敏夫
  • 発売日: 2018/07/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)