僕は普段全く小説は読まない。
何を目的に読んでいいかわからないからだ。
だけれども、又吉直樹の『火花』は流行っているからと理由でざっと読んで、これが純文学なのだと感銘を受けた。
本書も、冒頭の書き出し、「まぶたは薄い皮膚でしかないはずなのに、風景が透けて見えたことはまだない。」
という文から又吉直樹がどういう言葉を紡ぐのかに興味があり読んだ。
本作は恋愛小説であり、主人公の永田は又吉直樹を連想させるような劇作家。
基本的に陽と陰で言ったら陰であり、気むずかしく理屈屋で、そして暗い。
まして、売れない劇作家であるので、暇ではあるがお金はない。
そんな永田はある日、普通に街中を歩いていた「沙希」につきまとい、声をかけ、喫茶店に入るところから物語は始まる。
沙希は陽と陰で言ったら陽であり、いつもニコニコしている存在。
永田とは全く逆のタイプの人間である。
沙希はなぜか永田のことを肯定してくれ、永田を自分の家に居候までさせてくれる。
だけれども、全くの感謝もなければ、労働意欲が湧くわけでもない永田。こんな感じで物語は進んでいく。
普段小説を読まない僕は、何を目的に読んで良いか分からなかった。
読んでいくと、この小説には「優しい」という言葉がよく出てくる。
なので、きっと又吉直樹はこの作品は「優しさ」をテーマに書いているだと勝手に想像しながら読んだ。
けれども、「優しい」という言葉と同じくらい「嫉妬」という言葉も出てくるのだ。
そう思い読んでいくと「嫉妬」についての主人公の考察がある。この内容がいかにも又吉直樹っぽいのだ。
なので、嫉妬と優しさがテーマなんだと勝手に思った。
そんなことを思いながら、物語を追っていくと、ある事をきっかけに永田と沙希の関係は徐々に離れていくのである。
永田には、男のどうしようもない感情が露わになってくる。それこそどうしようもない嫉妬である。
今までそれを聞いてくれていた沙希はもういない。そんな永田に疲れ、実家に帰ってしまうのである。
そして、一緒に住んでいたアパートを片付けるシーンで物語は終わる。
最後に出てくるのは、優しさでもなく嫉妬でもなく、又吉直樹そのものなのだ。
彼は、陽と陰でいったら陰の存在であるが、人を笑わせたいと思う芸人なのである。
そうしてようやく、『劇場』の幕が上がる。