私が読む三島由紀夫の作品は、これで二冊目なので良くは存じていないながら、三島作品ではSF的な本作は異色のものだそうだ。
三島当人は、どうやら推理小説は全否定しているが、SF小説は好んで読んでいたらしく、こう語っている。
「推理小説などと違って、それは大人の童話だからだ」
そして本作は、賛否共に文壇等で議論を沸かせた問題作だった様だ。また、1964年にテレビドラマ化、1975年にラジオドラマ化、2012年は舞台化がされ、さらに、2017年5月には映画が公開されている。
私が本作を知るきっかけは2017年の映画化である。もっとも、その映画は観ていないし、本書を手にすることも暫くはなかったのだが、たまさか今回読んでみることにした。
なんでまた読んでみようかなと思ったのかと言えば、その趣旨は、「多分変な話なんだろう」という予想に尽きる。
読んでみると確かに変だ。
夫、妻、息子、娘の四人家族が主人公らである。彼らは、それまで普通の地球人と思っていたのに、それぞれが、順繰りに、別個に、空飛ぶ円盤と遭遇した途端から、自分は宇宙人だと自覚する。しかも、火星人、木星人、水星人、金星人と、各々同郷ですらないこの家族たちは至って真面目に宇宙人として、地球の人間たちに対しようとする。
彼ら一家はアプローチこそ違えど、各個に格下の人類を正しく導こうと思考する。
特に家長である火星人の父は、「宇宙友朋会」を設立し、世界平和達成講演会を開催して核廃絶を訴える。
一方で、やはり円盤との邂逅により、自らを遠い白鳥座の星雲から訪れた宇宙人と判じた三人組が登場するが、彼らの思想は主人公一家のそれとは反する。
彼らは、「人間どもは、快く、たのしく、気楽に、自分でも気のつかぬほどあっという間に、滅亡させてやるのが身の為なんだ」と、水爆戦争により、人類全体を安楽死へと導くことを目指すのであった。
その宇宙人同士は、終盤で激しい論争を繰り広げる。
人類は救うべくものか、廃絶すべきものか。
政治的、思想的な問いかけはなかなか興味深い。
作者は一体どこまで本気で書いているのか。実はこの宇宙人たちは単なる狂人なのではないか。何か裏があるのではないだろうかと、幾分訝しみながら読み進めた本書。
その辺りは興を削ぐので伏せておく。
実際に、お読みいただくのが良いだろう。
「将来って、そうね、地球が粉々になるまでの短い間はね」
美しい星
作者: 三島由紀夫
発売日:1967年10月30日
メディア:文庫本