言わずと知れた村上春樹のこの短編小説は、中学3年生の国語の教科書に採用されている。主人公の彼女の願いは言及されない。我々に問われているのは、「願い」が何か?ではなく、「願い」を導き出す工程なのだと思う。
端的に言うと僕が二十歳のバースディを迎えた彼女と彼女がバイトするレストランのオーナーとの不思議な体験を聞くストーリーである。二十歳の誕生日に非番であったアルバイトの女性が、同僚と交代するはめになり、レストランでのウエイトレスの仕事につく。何事もなく終わるはずだったその日、レストランのオーナーの部屋に食事を運ぶことになり、不思議な体験をするところで話が展開する。
オーナーである老人は願い事をひとつだけかなえてくれると言う。これがこの小説のキーである。
彼女の願いは何か?僕との話の中で、最後まで彼女の願いははっきりと示されない。彼女はオーナーが想像するような願いを言ったわけではなかった。だが、数十年経った現在、僕に問われた彼女は彼女の願いがかなったかどうかはイエスでノオであって時間が解決すると話すのだ。そしてその願いをしたことに後悔はないと言う。
そして彼女に願いを聞かれた僕は考えて「何ひとつない」と答える。この展開がいかにも村上春樹だ。彼女の話から僕の話に変えることで急に一般化する。とても自然に。
一つの願いを問われた時に何を考えるだろうか?自分、他人、現在、未来、具体的、抽象的、可視、不可視、と様々な視点で考えるだろう。彼女はその後僕をまっすぐな素直な視線で見つめるところで終わる。
ぱっと読むと悲しい物語のように読めるが、幸福感が同時進行しているように感じられる。願いごとが何ひとつもないと言う人生を、悲愴と捉えるのか、幸福であると捉えるのか。後者であると願いたい。
さて、ここで問います。あなたの願いは何ですか?