『ひゃくえむ。』は、話題作『チ。-地球の運動について-』の作者でもある魚豊(うおと)による、人間の苦悩を巧みに描いたスポーツ漫画だ。
100メートル走に人生を賭けた若者達が、負けて勝者から転落することを恐れ、それぞれが思い悩む、そんな心理描写が読者の心に刺さる作品となっている。
本書はスポーツ漫画であるため、100メートルという短い距離に凝縮された瞬間の緊張感や、レース中の追い付け追い越せのバトルも細かく描かれいるのだが、それよりも、試合前後の各キャラクターの苦悩の姿が読者をとても惹きつける。
個々のキャラクターが物語に深みを与えており、根っからのエリートもいれば、速く走れるようになることで、いじめられっ子の陰キャから這い上がった者もいる。登場人物たちの多様な背景と彼らが陸上競技にかける思いに、読者は共感しつつ、自分の悩みを投影して一緒に考えることになるだろう。
また、陸上競技は個人種目ではあるが、「陸上部」という仲間の存在や、ライバルである一方で同じ悩みを持った選手間での交流など、スポーツを通した若者たちの熱い想いに、ただひたすら感動する場面も度々あるだろう。
作品中には読者に刺さるであろう名言もたくさん登場する。
・「今からでも速くなれるかな?」「それを決めんのは君だろ」
・「現実が何かわかってなきゃ、現実からは逃げられねぇ」「現実に対して目を塞いで立ち止まるのと、目を開いて逃げるのは大きな違いだ」
作品中に登場する大きなテーマの一つが、「自分は何の為に走るのか」。各キャラクターごとにそれぞれの理由があるはずなのだが、本当の理由を見失い、思い悩む。本書で描かれる心の葛藤は、短距離走に限らず、実は我々読者の人生にも当てはまる課題であるため、自らを見つめ直す良い機会になるのではないだろうか。