三十何年か前、逆らって逆らって生きていた風に屈服し、東京を離れた。風に追われるまま日本を出てアジアを渡り歩き、ずっと我が身を風にまかせてきた。
そして今、小暮修は東京都下、埼玉県の方がずっと近い町にある公園に居た。
「あああッ! 目が覚めなきゃ良かったのに」
五回に一回はそう思う。
宿無しがすっかり板についた五十男。
段ボールハウスにビニールシートの屋根。そのシートの寝床の真上に当たる場所には、まだ四歳だったひとり息子、高倉健と菅原文太から一字ずつ取って名付けた健太がクレヨンで描いた「おとおさんのえ」が貼られていた。今のオサムにとって大事な物はその絵くらいなものだった。
ホームレス仲間のドーゾが荒川土手で半死半生で発見された。
捜査本部が立った。警察署長が人権派の市長の顔色をうかがったお陰だ。警視庁から刑事も出張ってくると言う。
桜田門と聞いた時、オサムは心臓が止まりかけた。
「アキラ」思わず口をついて出た。
風が変わったんだと思った。
ここからまたどこかへ、また流れていけと風が吹いている。
ドーゾはどうやらオサムと間違われて襲われたらしかった。ホームレス仲間がその場を目撃していたのだ。
手掛かりはオサムを訪ねて来た外人らしい男二人が乗って来たベンツRクラスのナンバー。
歌舞伎町の闇金がそのナンバーの持ち主と知れた。
オサムは、アキラが死んだあの日から遠ざかっていた新宿に舞い戻った。
帰ってきたぞ。とうとうここへ戻ってきた。別に恋しくなって帰ったわけじゃない。用ができたから仕方ない。筋を通すためだ。上手くすれば金にもなる。一石二鳥ってやつだ。いや、肝心なのは金じゃない、筋の方だ。
本書の発刊当時、暫く小説という媒体から遠去かっていた私が思わず手にしたのは何故だったのだろう。
たまたま書店で目にしたのは間違いない。目に付いたのは、タイトルか? 作者の名か? 果たしてどちらが先だったのか。いずれにしても、他の小説家の書いたものだったら読む気になっていたかは非常に怪しい。
あの『傷だらけの天使』を矢作俊彦が?
迷わず私は、本書をレジへと運んだ。
『傷だらけの天使』は、ご存じの方も多いだろうが、1974年10月5日から1975年3月29日まで全二十六話が日本テレビで放送されたテレビドラマだ。
主演は萩原健一、弟分の役は水谷豊。実験的な作りが際立つ、伝説のドラマ。
1997年に公開された映画もあったが、全く別物として新規に製作されたもので、『傷だらけの天使』のムードを念頭に観に行ったら見事に裏切られた。わざわざどういう意図で作ったの? と首を捻らざるを得ないものだった。
対して、本作は続編だ。あの最終回から三十年以上を経たオサムたちが描かれているのだ。
しかし、なんで矢作俊彦が?
何はともあれ、読んでみると面白い。やたらめったら面白い。久し振りに接した矢作俊彦の筆力に、疑問はそっちのけにして、どんどん読み進めさせられた。
オサムたちを紙面の上で活躍させること自体を愉しんでいるに違いない。文面からそう感じ取れた。そうか。ただ単に書きたかったんだね、矢作俊彦は、兎に角、あのドラマのその後を。
巻末には、快く許可してくださったテレビシリーズ原案者市川森一氏、また主演の萩原健一氏に感謝します、とある。
どうやら正当な続編として認められていると捉えて良さそうだ。と言うか、それほどの力作、傑作と思えるのである。
作者: 矢作俊彦
発売日:2011年2月15日
メディア:文庫本