何かを破壊したい、と思ったことはないだろうか。
誰にでも、ある時期には、どうしようもない破壊衝動のようなものが沸き起こってはこないだろうか。
こんなことを、こんな混沌を、感じない人がいるのだろうか。
ラベリング理論というものがある。
前科のレッテルを貼られた人が、社会で上手く生きていけずに、また犯罪者になる。そういう学説だ。
施設育ちの刑務官である「僕」は、夫婦を刺殺した二十歳の未決囚、山井を担当することになる。
彼は、一週間後に迫る控訴期限が切れれば死刑が確定する。
「僕」は山井の中に自分と似た混沌としたものを見つけながら、自殺した友人を助けられなかったことへの無力感、大切な恩師との過去のやりとり、死刑制度に対する葛藤、そして生と死と、真正面から向き合っていく。
本作では、思春期特有の、ドロドロとした感情が鮮明に描かれる。
何もかもどうでもよくて、この世から消えてしまいたい。いっそ駄目になってしまいたい。何か別のものになりたい。解放されたい。
けれど本当はどこかに救いを求めている。助けてくれる大人を探している。
物語の中で、雨が多く降っている。
著者は、水というものを、文体に溶け込ませるように書いたそうだ。
水は命を連想させる。透明で、掴みどころがない。
そしてこの物語の様々な部分が、著者の個人的な部分に属しているそう。
著者もまた、混乱の多い子供時代を過ごしたそうだ。
平和な子供時代を送った人間に、最悪な子供時代を送った人間の気持ちをわかれと言っても、それは難しい。
最大限の想像力を働かせ、生活する上では自分とは無関係だと思えるような人の立場になる。
これが、小説を読む醍醐味なのではないだろうか。
自分の好みや狭い了見で、作品を簡単に判断してはいけない。
自分の判断で物語をくくるのではなく、自分の了見を、物語を使って広げる努力をする。
そうすることで、少しずつ自分の枠が広がっていくことを願いながら。