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堀江貴文イノベーション大学校(通称HIU)公式の書評ブログです。様々なHIUメンバーの書評を毎日更新中。

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【書評】夏休みの読書感想文に最適!北杜夫の『船乗りクプクプの冒険』の魅力

皆さんこんにちは。今日は、北杜夫の児童文学の名作『船乗りクプクプの冒険』についてお話しします。特に、夏休みの読書感想文を課題にしている小学生には、この本を強くおすすめします。

『船乗りクプクプの冒険』は、1961年から1962年にかけて連載され、その後1962年に集英社から出版された北杜夫の初めての児童向け小説です。物語は、勉強嫌いの主人公タロー君が、偶然手に取ったキタ・モリオ作の小説「船乗りクプクプ」に吸い込まれ、物語の主人公クプクプになってしまうところから始まります。

この物語では、タロー君が「クプクプ」として船に乗り込み、個性豊かな仲間たちと共にさまざまな冒険を繰り広げます。ユーモアにあふれたキャラクターたちと共に、クプクプは海を渡り、未知の土地を探検し、さまざまな挑戦に立ち向かいます。物語の中には、文明批判や人間のあるべき姿に対するさりげないメッセージが込められており、ユーモア小説の形式を取りつつも、深いテーマが描かれています。また、メタフィクション的な趣向も取り入れられており、物語の中と外の世界を結ぶダメ作家が登場します。

『船乗りクプクプの冒険』は、そのユーモラスで冒険心あふれる物語と深いメッセージが、多くの読者に愛されています。特に、主人公が直面するさまざまな挑戦や冒険は、子供たちの想像力を刺激し、人間のあり方や社会について考えるきっかけを与えてくれます。

『ワンピース』のような人気アニメと同様に、海をテーマにした冒険物語で個性豊かなキャラクターが登場する『船乗りクプクプの冒険』は、子供たちにとって非常に価値のある読み物です。また、北杜夫が創り出す独特な物語の世界を通じて、読書の楽しさを実感することができます。

 

 

【書評】近代日本の文学史を司った作家というものを初めて識る悦び。『城の崎にて・小僧の神様』

明治から昭和にかけて活躍し、小説の神様と言われた志賀直哉の短編集。
私が本書を手にした動機としては、作家、北方謙三が、小説家になる為に志賀直哉の『城の崎にて』を原稿用紙に書き写したりして学んだということを知ったので、一度読んでみようと思ってのことだ。
なんの予備知識もなく頁を繰ったが、なるほど惹かれるところは大いにあった。
巻末の解説によれば、本書に収められているのは明治45年から大正15年に至る、作者が30歳から44歳時の代表的な15篇だという。
そして、これ以降の昭和期の作品では、作り話の要素がほとんど影を潜めて、仮構も飾り気も無い作品が大部分になるのだそうだ。

いずれも10頁程度。次から次へと読み散らかしてみたのであったが、15篇のうちのざっと7割近くは作者の経験した事柄、思い出などをそのまま著したものの様で、心情を重ねていくのを中心とした密度の高さを持つが、言いようによってはハードボイルドを思わせる端的な文体には確かに美しさを感じさせられる。
ただ、『山科の記憶』『痴情」『瑣事」の連作については、なかなか身勝手な主人公、つまり作者自体に対して幾分苛立たしさを感じた。
どういう人物かよく知りはしないが、解説者によれば「潔癖感で真っすぐ」なのだそうで、こうと思ったことは著さずにはいておれぬというところか。
元より、作家というものが、言いたいことがあって、それを文章にして世に送り出したいと思っている存在であろうから、当たり前と言えばその通りか。
一方で、創作物と思われる作品群は割とあっさりな印象があった。なかには寓話的なものまであって、それにつけては時たま作品中で解説めいたものが差し込まれるが、これは作者自らにとっては創作に関する不守備を恥じたことの裏返しによる照れ隠しなのだろうか。いやそれともそれ自体がユーモアなのか。
いずれ他の作品にも触れる機会を作ってみて理解を深めようかと思う。

城の崎にて・小僧の神様
作者: 志賀直哉
発売日:1954年3月10日
メディア:文庫本

 

 

【書評】壮年期の恋物語を下敷きに、2人が生まれる前から死んだ後までを描いた珠玉の詩集『女に』

詩集や歌集というのは、本当にその人がそこにいるような感覚になります。背表紙を見ると、妖精みたいな谷川さんが、本棚に座って脚をぶらぶらさせているような気がします。

本の装丁って、皆さんが思っている以上に、作る人達は、すごくこだわりを持っています。詩集は、その最たるもの。装丁も含めての「表現」なのです。この「女に」と言う詩集の装丁は、とても贅沢な作りで、変形サイズ、ハードカバー、さらに本を入れる入れ物も付いています。これから詩集を自費出版したい私には、ここまで贅沢な作りはできないけれど、「こんな詩集にしたいなあ」と考えているお手本です。

とある朗読会で、谷川さんがこの詩集の詩を読んでいたら、客席にいた妻の洋子さんが耐えきれなくて出て行ったと言うエピソードを聞いたことがあります。そのぐらい、佐野さんとの日々に谷川さんが感じたことが、率直に描かれています。ときにロマンチックにときにシニカルに、様々な角度から恋を、性を、身体を描いた36篇。

詩集には、見開き右に1つの詩が、左に1つの絵が描かれています。1頁ごとに、にっと笑ってしまったり、きゅんとしたり、赤面してしまったり、虚になったり、立ち尽くしてしまったり。
コーヒーでも飲みながら、谷川さんの深い内的世界を、ぜひ味わってみてください。

著者 谷川俊太郎
1991年
マガジンハウス

 

 

【書評】不倫文学の最高峰。いぶし銀でさらりと書いたような、三島に珍しく肩の凝らない作品『美徳のよろめき』

山田詠美さんの解説が追加された新版です。この解説、私はとても好きです。(それにしても、なんてチャレンジングな帯なのでしょう)

三島由紀夫作品は、初めて読みました。読後、感じているのは、ひたすら美しかったな、、という以上に、「男の理論だな、、」ということ。
当たり前の話だけど、作中で、どんなに達観した老女に喋らせたセリフであっても、やはり三島由紀夫のーー男の言葉なのだ。女の本能をわかっていない人なんだな、と感じた。
対象的な太宰治を思い出した。三島由紀夫の無駄のないシンプルな美しさは、確かにどんどん読み進めていける。太宰のような柔らかで伸びやかな感情表現とはまた違う美だ。私はそもそも、小説を読むことを好まない、リアリストで合理主義者なのだが、冗長を感じてしまうことを差し引いても、私は三島由紀夫よりも太宰の方が、好きだ。太宰は、女の本能をわかっているのだ。
それでも、もっと三島作品を読んでみたいと思ってしまうのは、彼の文才と、彼自身の魅力のせいだろう。

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作中では、主人公節子は、堕胎を繰り返すのだが、一回ごとの堕胎で、道徳が一段階ずつ崩れていく様が描かれている。ひとつひとつの堕胎に、違う道徳や美徳が描かれており、そこは読み返してみたくなるポイントだ。

この不倫と堕胎の恋愛劇を見て、私が結局思い至った感想は、「結婚」という制度への疑問であった。「女が一等惚れる羽目になるのは、自分に一等苦手な男相手でございますね」ーーたしかにそうかもしれない。惚れた男の子を身籠りたくなる(身体を欲する)のは、女の本能だ。惚れた男の子どもを、産み育てることは、本来女の幸せで、また人類の幸せであったはず。産む決断ができない社会の不自由こそ、囚われの檻だ。(フランスにはすでに結婚という檻が存在せず、子育ても国が責任を負うので、大人達は、働き、愛し合い、子どもを安心して産める。)

しかし一方で、作品中で、結婚という檻の中で支え合う、夫婦の美しさも、私には感じられた。それは確かに甘美なものではないかもしれない。でも、夫婦の穏やかな良識や、現実的な親切さも、存在感を放っていた。

不倫というのは、「命懸けの遊び」なのだと思う。そして、遊びもそこまでくれば、人生の醍醐味とか、生きがいとさえ、言えるのではないだろうか。おちたくなくても、おちざるをえなかった恋。学びのない恋なんてない。大切な人ーー配偶者にとっての、人生における大切なことを邪魔する権利なんて、誰にもあるんだろうか。

節子の父親も、悔しいほどに、よかった。三島由紀夫は、男を描くのは上手い。でもーー。他の作品も、読んでみたいと思います。本当に三島由紀夫が女を理解してないのかどうかなんて、そうしないと、わからないですもんね。

 

 

【書評】ガンバリズムからの脱却『営業の科学 セールスにはびこる無駄な努力・根拠なき指導を一掃する』

営業現場に蔓延るガンバリズム。著者もかつてはそのような営業スタイルで成果を上げられていたものの、いざ営業組織をマネージする立場に立った際にそれだけではなぜかメンバーの成績が思うように伸びず、壁にぶち当たっていた時に業績を上げていた隣のチームのマネージャーからのアドバイスを受けて、考えて行動する組織へと変革を決断し、成果を上げることに成功し、その経験をまとめた書籍「無敗営業」を出版。その後、さらに調査を拡大し、法人営業約1万人、購買経験のあるお客様約1万人に対する調査結果(2万人調査)をまとめて、数値的なファクトをベースにお客様を5つの仮面に類型化し、それぞれに合わせたアプローチをすることで、成約の精度を高めることが可能であるという。
本書は、アンケート結果の図表を多用しながら解説されており、わかりやすく納得感がある。これを知らずに営業するのと、知ってて営業するのとでは、成果に大きな違いが出てくることが容易に想像できる。
私自身は営業の経験はないが、営業において、ただお客様の言っていることをそのまま真に受けると、なかなか成約には繋がらないということが裏側の背景も含めて理解できた。仮面の裏にある素顔(本音)を聞き出すための、具体的なプロセスやアプローチ方法(メール文面、声掛け、質問など)に関するノウハウが凝縮されており、非常に勉強になった。この考え方自体は、営業に限らず、ビジネスのあらゆるシーンで応用できるのではないかと思う。
営業で努力しているけどなかなか成果が出ないと悩んでいる人、ある程度成果は出ているが、さらに伸ばしたい人、営業組織のマネージャーとしてメンバーを育成していく立場の人など特にBtoB営業に関わる方におススメの一冊です。

著者:高橋 浩一
出版社:かんき出版

 

 

【書評】人間とチンパンジーのハーフ『ダーウィン事変』

本作品は人間とチンパンジーのハーフである「ヒューマンジー」チャーリーの物語りだ。人間より賢く、チンパンジーより身体能力の高いヒューマンジーは高校生活を穏やかに過ごすはずがテロリストに目をつけられてしまう。

ヒューマンジーは動物と人間の間の生物だ。そんなチャーリーに目をつけたのは動物解放を目指しているテロリストALA。動物側の言葉をわかりやすく伝えてくれるのではないかと仲間に入れられようとしている。

分かりやすく説明すると本作の題材はビーガンや差別問題だ。動物側として、どう考えているのか?、差別問題はどうか。また、本作は中々頭を使わされる。法律上チャーリーは戸籍もないため、物扱いとなる。犯罪を犯したときはどうやって捌くのか?、誘拐されても窃盗になる。社会問題についてよく考えさせられる作品である。

また、本作は「マンガ大賞2022」大賞も取っており非常に勢いがあり、また、どんどん面白くなっていく作品だ。さらには、アニメ化もするらしい。今後どんどん有名になっていくことは間違い無いだろう。

 

 

【書評】勝利に取り憑かれた人間の心理『ひゃくえむ。』

『ひゃくえむ。』は、話題作『チ。-地球の運動について-』の作者でもある魚豊(うおと)による、人間の苦悩を巧みに描いたスポーツ漫画だ。
100メートル走に人生を賭けた若者達が、負けて勝者から転落することを恐れ、それぞれが思い悩む、そんな心理描写が読者の心に刺さる作品となっている。

本書はスポーツ漫画であるため、100メートルという短い距離に凝縮された瞬間の緊張感や、レース中の追い付け追い越せのバトルも細かく描かれいるのだが、それよりも、試合前後の各キャラクターの苦悩の姿が読者をとても惹きつける。

個々のキャラクターが物語に深みを与えており、根っからのエリートもいれば、速く走れるようになることで、いじめられっ子の陰キャから這い上がった者もいる。登場人物たちの多様な背景と彼らが陸上競技にかける思いに、読者は共感しつつ、自分の悩みを投影して一緒に考えることになるだろう。

また、陸上競技は個人種目ではあるが、「陸上部」という仲間の存在や、ライバルである一方で同じ悩みを持った選手間での交流など、スポーツを通した若者たちの熱い想いに、ただひたすら感動する場面も度々あるだろう。

作品中には読者に刺さるであろう名言もたくさん登場する。
・「今からでも速くなれるかな?」「それを決めんのは君だろ」
・「現実が何かわかってなきゃ、現実からは逃げられねぇ」「現実に対して目を塞いで立ち止まるのと、目を開いて逃げるのは大きな違いだ」

作品中に登場する大きなテーマの一つが、「自分は何の為に走るのか」。各キャラクターごとにそれぞれの理由があるはずなのだが、本当の理由を見失い、思い悩む。本書で描かれる心の葛藤は、短距離走に限らず、実は我々読者の人生にも当てはまる課題であるため、自らを見つめ直す良い機会になるのではないだろうか。

 

 

【書評】テキスト/画像×AIの次にくるもの、音声×AIによるビジネス変革『音声×AIがもたらすビジネス革命』

生成AIのカンブリア紀と言われる現在、爆発的な進化を遂げているが、音声の領域における活用はまだ活用これから。
まだ生成AIが普及する前から音声×AIに可能性を見出して起業した著者が、音声×AIの今と今後のビジネス活用について語る。

直近の日本の労働生産性は、OECD加盟諸国38か国中30位と低迷しており、人口減少も進む中、業務効率化する必要性に迫られており、その手段としてAIの活用が急務であるという。
AIに仕事が奪われるという記事をよく目にするが、奪われるというよりもAIに向いている仕事はAIにやってもらい、人間に向いている仕事を人間がやるようになると考えた方がよい。
AIに向いている仕事とは、ロジカルな分析や効率化、最適化とプロセスの自動化など膨大な数値データを瞬時に計算して解を導くような仕事であり、一方で人間に向いている仕事としては、感情に基づいて非論理的な判断も求められるような仕事である。
テキスト、画像、動画などにおける生成AIの活用はかなり進んできているが、音声データについては、多くの場合、録音ファイル(生音源)として置いてあるだけで、AIで分析・活用できる形では蓄積されていないため、早急に活用できる形に変換し、資産化する必要があると述べている。
現在、キーボードやマウス、スマホからのテキストによる入力が主流であるが、音声認識音声合成の精度が高まることで、今後音声入力が主流になることが予想され、また入力だけでなく、出力についてもながら作業が可能な音声が主流になっていくと予想する。
確かに本書で説明されているように、インサイドセールスやコンタクトセンターなど、現状音声によるやり取りが主流の業務から徐々にAIに置き換わっていき、それがあらゆる業務に波及していくだろう。
自分の周りの仕事を見渡して、音声データが活用できる領域を探し、活用してみようと思う。まだ現時点でどのような活用ができるかイメージがあまりできていないが、早く始めてトライ&エラーのサイクルを回し始めることが重要だと思う。
ご興味ある方は、本書を手に取って、ご自身のビジネスで活用できないか検討してみてはいかがでしょうか。

著者:曾田 武史
発行元:幻冬舎メディアコンサルティング

 

 

【書評】JK詩人・文月悠光が爆誕。処女詩集『適切な世界の適切ならざる私』

これが現代詩でないのなら、何を現代詩というだろう。文月悠光の処女詩集は、中原中也賞をとることが予定調和だったように感じさせる作品だ。整然と並んだ文字列は、絵画のような印象を与える。韻文詩と散文詩の合わせ技は、彼女の特徴的なスタイルで、17歳にしてすっかりそれを確立している。
擬態語や擬音語の、名詞との効果的なミキシングで、目の前にくっきりと動画が浮かぶ。複雑怪奇でわからなそうな比喩なのに、わかるのだ。思考をすり抜け、ココロだけに入ってくる。現代詩の王道をいくような凝った工芸を、妙に自然に紡ぎ出す彼女は、現代詩の申し子として生まれたのだろう。

ときにまとわりつく様なエロチックな詩も、彼女の持ち味で、少し中性的でさわやかな文体ながらも、あまりに詳細な描写が羞恥心を責め立てる。露悪ギリギリのところを攻めようとして結局露悪に着地しているが、そういう勇敢な所こそが評価されるのだろう。
まっすぐで、しかしよるべのない抒情を、彼女は常に不甲斐なく紙にぽたぽたと落としている。そんな可哀想な様子が、常になんとも「あはれ」なのである。

「おりてこいよ、言葉。」というフレーズが、詩の界隈ではもてはやされているようだけど、私にしてみれば、なんて言葉に対して横柄なのだろうとモヤモヤとした気持ちが沸いてくる。がしかし、17歳で詩壇の注目をかっさらってからというもの、繊細な心で周囲から将来への嘱望を浴びつづけた彼女は、「言葉に轢かれた」という表現にあるように、言葉から捕まえられた呪縛とずっと格闘してきたのだろう。下から言葉を睨みつけるような生真面目な生娘の視線がありありと浮かんでくる。あっと驚かされる様な表現のオンパレードは、何も信じることが出来ない虚無の中に居る、彼女の孤独な闘い、なのだ。

著者 文月悠光
2009年発行

 

 

【書評】スペース・オデッセイは、とうとう1000年を経て完結する。『3001年終局への旅』

1968年発表の『2001年宇宙の旅』、1982年の『2010年宇宙の旅』に、1987年の『2061年宇宙の旅』ときて、1997年には本作を発表。とうとう一作目から1000年が経ってしまった。
どこまで行く気なの? と思ったら、これがシリーズ完結篇である。
それにしても、『終局への旅』とは不吉なタイトルだ。因みに、原題は『3001: The Final Odyssey』である。

『2001年』で、機密を帯びて木星に向かう途中、アメリカ合衆国宇宙船ディスカバリー号に搭載されたコンピューター HAL9000の反抗により、宇宙へ放り出された船長代理並びに専任士官フランク・プールが、海王星付近で漂流しているところを発見され、回収された。
超低温の仮死状態であった彼は、地球の軌道上で蘇生され目覚めた。

1000年、というか実執筆年間ですら29年間も放っておかれたプール。恐らく世界中からすっかり忘れ去られていた筈の彼を物語の主人公に復活させるとは、なるほど考えたなと思わされる。確かにそれならば続編が成立する訳だ。
物語は当初、目覚めたプールが目の当たりにする1000年後の世界の驚異を描いていく。
次第に順応していったプールは、やがて、再び宇宙の旅を試みる。
2001年の最初の旅で行方不明となった、宇宙船ディスカバリー号の船長デイビット・ボーマンは、エネルギー生命体と化してその後幾度か人類に姿を現していた。そして彼がエウロパに居るのはほぼ確実だった。
2010年に於いて、謎の存在である超生命体から地球人類に寄せられたメッセージ。
「これらの世界はすべて、あなたたちのものだ。ただしエウロパは除く。決して着陸してはならない」
木星の衛星エウロパは、かくして地球人類にとって禁制の地となっていたのだが、プールは自分ならばボーマンは訪問を許すのではないかと考えたのだった。
プールは果たして、1000年振りにエウロパに降り立つ人類になり得るのか。

本作は、これまでの三作に比べれば、やや頁数は少ない。しかし、宇宙航法技術が格段に上がっているのだ。他の天体への移動時間が大幅に短縮されているのだから、描写するべき事柄がそもそも乏しい訳で、それも当然のことか。
それにしても、本作は御歳80歳手前で執筆された作品である。SFとはイマジネーションだ。これ程までにクラークの想像力が留まらないのは、なかなか凄いことだと思う。
流石は、最も多くの未来予測を成したSF作家と言われるだけのことはある。

3001年終局への旅
作者: アーサー・C・クラーク
発売日:2001年3月15日
メディア:文庫本