HIU公式書評Blog

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堀江貴文イノベーション大学校(通称HIU)公式の書評ブログです。様々なHIUメンバーの書評を毎日更新中。

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【書評】研究ってのは超熱い。『チ。-地球の運動について-』

タイトルの通り本作は地動説についてのまんがだ。地動説とは今では当たり前だが、地球が回っている。地球が中心ではないと言う説だ。地動説を唱えることは宗教に反することであり当時はすぐに処刑にもなった。そんな地動説を唱えたものたちの物語だ。

物語のスタートは15世紀のヨーロッパの少年から始まる。少年はある日研究者に出会う。その研究者は少年に地動説を説く。天文好きな少年にとってそれは非常に刺激的な説であるとともにはるかに合理的であった。

少年は宗教には向いてでも命を捨ててでも研究したいと思う。とにかく、熱い言葉の連続の熱い物語だ。

本作はアメトーーク。でも紹介されさらに人気を上げている。地動説が定着するまでにはいろいろなことがあり、多くの人が命をかけて研究した。研究者の熱い世界を知ることができる一冊だ。

 

 

 

【書評】NetflixではあYOKO FUCHIGAMIと冨永愛のコラボも!『つくるひとびと クリエイター71人のパワー・ワード』

 

いやー、こんな贅沢な本が出るとは。本書はクリエイター71人のパワーワードを集めた本だ。最前線で活躍するクリエイターが絞り出した言葉を集めた最高傑作。

本書では71人のクリエイターが登場する。あのパリコレNo.1モデルのアルセーヌ・ダルタニアンや天才子役のみちくん、パーソナルヒップトレーナーのMICOなどなどすごい人物がどんどんと登場する。

その中でもお気に入りのパワーワードを紹介しよう。
作家の阿久津しのぶは「女と文章は同じだ構成がしっかりしていないと満足はさせられない」と言っている。これが阿久津の余裕だろう。

さてさて、さらには本書の最後にはそんなクリエイターの対談も収録されている。デザイナーのYOKO FUCHIGAMIとモデルのアルセーヌ・ダルタニアンの対談は必見だ。

また本書は続編としてNetflixでも放送されている。富永愛が過去にダルタニアンに嫉妬した話なども聞けて面白い。

クリエイターの人、クリエイターになりたい人。全ての人に本書をお勧めする。

 

 

【書評】反捕鯨の背景『白鯨』

 

 白い巨鯨「モビー・ディック」を追う「ピークォド号」の物語。乗組員である主人公「イシュメール」の手記という形式で描かれているが、彼自身は殆ど登場せず、事実上船長「エイハブ」の復讐劇と言える。途中鯨や船についての蘊蓄が入るなどして話が脱線するため、ストーリーがゆっくり進む、という所も特徴的な作品となっている。

 本書を読んでみると当時のアメリカのクジラ観が見てとれる。当時は鯨油確保のため、まさに命懸けで捕鯨を行っていたようだ。
 それが、現在は石油が普及し捕鯨の必要がなくなった。この一世紀程の間で、アメリカの捕鯨に対する感覚は大きく変わり、現在は捕鯨やイルカ漁に対する国際的な観点は非常にシビアになっている。

 時代によって、また地域によってその価値観は変わってくる。捕鯨やイルカ漁の問題に関しては各々の価値観がぶつかっているようにも見えるが、その価値観を理解するには、歴史的・文化的背景を知っておく必要があると思う。

 本書は1851年にアメリカで発表されている。アメリカのクジラ観の変遷を抑えておくためには良い教材となるだろう。

 

 

【書評】自分に自信がない人は、自分が自分を褒めるのが足りてないだけ『パンダのパンツちゃん』

 

本書は、250冊以上の絵本を出版する著者による初のキャラクターコミックである。主人公は本書を読んでいる「自分自身」それぞれの状況での問いに対して想像しながらストーリーを読み進めていくスタイルはなかなか面白い。また、鉛筆で描かれた優しいタッチの絵からは安らぎを感じ、可愛いパンダがより際立つ。まさか著者が昔、暴走族の総長だったとは本書の雰囲気からは全く想像がつかない。

そんな著者が描く本書には、様々な教訓が組み込まれている。子どもの頃、本当にやりたかったことは何なのか?本書を読んだ人の子供心が引き出され、本当の自分がよみがえることを望み本書が作られたそうだ。なぜなら著者自身、世間や他人に合わせるたびに、自分が消えていくように感じると言う。

本が売れないこの時代に、著者は次々とヒット作を生み出す絵本作家として注目されていたが、実際にはネット上での度重なるバッシングにより、3年もの間、絵本が売れなくまた、企画も通らなくなった。しかし、絵本を描くことで誰かを喜ばせたい。絵本を描くことが自分の人生の全てだと考えていた著者は、批判の中でも毎日絵本を書き続けた。だが、それは想像を絶する苦悩の日々であり、年内には命を絶とうと考えていたそうだ。

そんなときにスタートしたClub houseで勇気を持って閉ざされた心を開いたことにより、多くの人々からの励ましの声を受け、絵本作家人生をかけたプロジェクトをスタートした。始まってまだ半年ほどのClub houseだが、利用者は圧倒的に激減したとも言われている。その一方で、著者のようにClub houseにより命が救われ、また新たな勇気が得られた人、世の中の状況により孤独から人の温かさ感じた人、人生の新たな楽しみだと感じている人などその影響は様々。Club houseは単なる音声アプリではなく、著者をはじめ多くの人々を救っているのだ。

 

 

【書評】会社の存在意義とは。『稲盛和夫の経営塾 Q&A高収益企業のつくり方』

 

稲盛和夫は、「盛和塾」という経営者の集まりを長年続けていた。真摯に経営を学びたい経営者が入塾し、全国、そして海外にまで会員が広がり、国内56塾、海外48塾と、「組織」といっても差し支えないであろうほどになっていたが、2019年末に閉塾した。その時の塾生数は約15,000名であったという。
その発端は、1983年に講演を聴いた若手経営者から、どうすれば経営が上手くいくのかを教えてほしいと懇願されたことからだったそうだ。

一人でも生きていくのが大変な世の中で、経営者はたとえ中小零細企業であろうと、従業員とその家族の生活を守っている。重い責任を背負う経営者たちが、お互いに腹を割って悩みを打ち明け、励まし合い、研鑽する場として、盛和塾活動は広がっていった。
と、本書の前書きに於いて、著者の稲盛氏は語っている。
そして塾生たちは、「心を高め、会社業績を伸ばして従業員を幸せにすることが経営者の使命である」とする氏の経営哲学を熱心に学び続けた。
盛和塾では、講義の他に、「経営問答」と呼ばれる経営指導の時間がある。塾生が実際に直面している経営上の問題を赤裸々に発表し、これに対し、稲盛氏が真剣に考え、アドバイスを与えるというものである。
その「経営問答」の一部をまとめたのが本書である。
本書では「高収益企業のつくり方」にテーマを絞っており、各章毎に稲盛氏の考えを述べ、その後に関連した問答を掲載するという形式を採っている。

多角化に挑むにはどうあるべきか。その時経営者に覚悟と集中力はあるか。
M&Aの真の秘訣は経営者の徳。
目標達成者には、報酬ではなく栄誉と賞賛を。
技術力も優れ、販売力も優れ、従業員の心も優れ、人間関係も優れ、あらゆるものが優れていて初めて強い会社になる。

経営者の悩みは様々だ。
しかし、その悩みの本を正せば、いかにして高収益企業となるかということに繋がることは多い。
そして、現状を打破するために経営者が下した選択が正しいとは限らない。
稲盛氏は、成長を求めるばかりに、本来すべきこととは異なることをしようとしているのではないかと、しばしば異論を唱える。
その投資は必要なものか?
現場に出て、汗まみれになって仕事に精通せよ。
知恵を使って、既存事業に集中して利益を伸ばせ。
売上の大きさを追わず、採算を高めよ。
あなたは、本当に会社の現状をきちんと捉えているのかと説諭を与えるのである。

そしてなお言うのだ。
心の底からの強い願望が高収益の原動力であると。


稲盛和夫の経営塾 Q&A高収益企業のつくり方
作者:稲盛和夫
発売日:2007年11月5日
メディア:文庫本

 

 

【書評】こんな世界観を持っていたなんて。『累々』

 

 元SKE48松井玲奈さんが書いたこの小説は、5つの短編で構成されている。かと思いきや、最後はすべての伏線が回収され、一つの物語に大変身。久しぶりにあっと言わされてしまった。

 マリッジブルーのコーヒーショップ店員、彼氏の友達とセフレになってしまう女性、パパ活をする女子、先輩に恋する女子大学生。短編では、それぞれの主人公にまつわる物語が描かれている。一人ひとりの女性に見え隠れするのは、誰かに認められたいという思い。その思いに振り回され、時に傷つき、上手く生きていけない女性にどこかもどかしさを覚えてしまう。

 しかし、それぞれの短編に出てくる女性は同一人物だった。4つ目の短編あたりから、まさか?とは思いつつ読み進めていくと、最後の章でビタッとすべてが一致し、気持ちよく伏線が回収されていった。それぞれの主人公に、もどかしさと少しの同情を感じていたが、一気に冷め、主人公に闇を感じた瞬間だった。

 本作では、松井玲奈さんの世界観を存分に味わえる。あるシーンで、「女の子に幻想を抱いちゃだめですよ。」というセリフが出てくる。アイドル時代の松井玲奈さんは、いつもニコニコしてて、ノリがよく明るい。そんなイメージを勝手に持っていたが、本作で松井玲奈さんの、また違う少しダークな魅力に気づかされた。

 女の子に幻想を抱いちゃだめですよ、か。この言葉は僕の心に小さな傷を残している。

 

 

【書評】組織の法則早見一覧『図で考えると会社は良くなる これからの組織経営論』

 

会社で評価が上がらないのは上司のせいでも自分のせいでもなかった!?
どんなに仕事を頑張っても会社でなぜか評価が上がらない。よくある話だがいざ自分がその立場になるのはイヤ。
思っていてもあなたの会社では避けられない未来かも??
なぜこの悲劇が多くの会社で起こるのか。原因となる組織の法則をスッキリ!図で解説してくれるそんな一冊です。


経営者の想像以上に企業の規模が大きくなることはない?
経営者が実務をするほど視野のレベルが落ち、企業の規模も縮小してしまうことがよくあるとのこと。

中規模の企業に勤める私は最近、この経営者の実務の介入と企業規模の関連性を実感している。適当に書いてると感じるかもしれないが経営層が実務に首を突っ込んでくる時ほどなんとなくだが戦略の目線が低い様に感じる。

私は経営側ではないが自分が手をつけている作業の方がバイアスが強くかかるのもわかる。改めて戦略とか大きい話を考える時ほど実務からある程度距離をとって全体を俯瞰してみるのは大事だと感じた。

もう1点、共感と共に自分が考えていることが図になって表現されており非常に腹落ちした。
「業績が下がるほど社員の仲が良い」建設的に目標に向かうために話すのではなく、その場を心地よくするためだけにぶつかる様な議論は避けた馴れ合い。こういう状況になったら企業が衰退していくのは想像に易い。

話を前に進めるために議論したら和気あいあいの雰囲気にならないこともあるし多少なりぶつかるからこそ見つかるものもあると私は思う。そんな話し合いは意外と心地よくも感じるし私は結構好き。そういうのが好きではない人がいることも理解するが本気で何かを作り上げていくならぶつかることがあるのは当たり前だとも思う。

話は変わるが意見のぶつかりで学生時代の研究室での議論を思い出した。研究室時代にはそれなりに高めの目標(自分で勝手に決めただけだが)に向かってせかせか実験していた。ただ一人で全てうまくやったというよりは他人と意見をぶつけあって議論する中で見つかったものが実は急所だったりしたなと。人と建設的に議論することで前に進めることを体験的に知っているからこそ前向きなら多少ぶつかっても良いと思っているのかもしれない。

最後に本書の終わりに組織の状態を良くする万能薬が敬意だと記載されていた。相手を尊重することで全てが上向けるのだそう。互いに敬意があることがわかれば反対意見も前に進むためと理解もできるし真の目的に向かって建設的に話すことができるのだそう。私は体験から非常に納得できる記述だった。
敬意ある本気のぶつかり合いだからこそ何かより良いものが生まれるかもしれないと私は思う。ぶつかり合いと言えば相撲が頭に浮かんだ。何か書評に意見があれば議論をしよう。敬意のふんどし巻いてぶつかり稽古だ。

 

 

【書評】先が読めない時代に「のれん分け」を利用する!『21世紀型「のれん分け」ビジネスの教科書』

 

直営店舗、フランチャイズ、のれん分けの違いがよくわからない?今まさに、のれん分けビジネス開始の時期が到来していますよ!この著書は、ビジネスを始めたいがどう始めてよいのかわからない方にうってつけの教科書である!さて、内容はいかに?!

のれん分けの印象ってどういうものだろうか?「〇〇ラーメンで修業を積んだ店主がのれん分けを許されてここ〇〇の地でラーメン屋を始める!」というセリフを聞いたことがないだろうか。のれん分けとは、このように店舗で長年働いた従業員に、屋号を使用して独立することである。ちなみに本部から経営のサポートを受けて開業できるのがフランチャイズで、本部が出資をして開業した店舗が直営店舗であることを考えると、のれん分けは店舗運営に対する縛りが少ないため経営方針を独自に決める決定することが可能なのである。つまり、知識や技術をしっかりと得た上で、自分のオリジナリティを加え展開することができるのである。

この著書はコロナ禍ののれん分けをビジネスのチャンスとして捉えているのだが、その中に人材についても書かれている。人材は言わずもがな会社にとって最も重要な資産である。会社は優秀な人材が常に欲しい。コロナ禍は優秀な人材を獲得するためのチャンスだと言うのである。コロナ禍で多くの会社が閉まり、撤退することにより、一等地が空いているというニュースは聞いたことがあるだろう。実は人材も同じなのである。残念ながら会社を縮小する際の人員整理の際には優秀な人材も含まれる。今ビジネスを始めるとその優秀な人材を獲得できるチャンスがあるのだ。

実はのれん分けビジネスはコロナ禍だから流行っているわけではない。IT化やワークスタイルの変化から人々の生活が変わりつつある中で、従来の形では儲からないと感じ始めていた矢先にコロナ禍により変化を強いられたわけである。都市集中型に限界を感じているも行動に移す理由がなかった時代から、すでに変化を遂げているのだ。そんな中で都市部に直営店舗を構える必要があるだろうか?むしろクラウド上の店舗でだってビジネスを始めることができるのである。そんな夢のような話をどう実現化させるか、そのためにのれん分け制度を有効に使うのである。

コロナ禍でのビジネス開始について不安を抱いている場合ではない。アフターコロナ、ポストコロナを考えて動き出すと言われている今がチャンスなのだ。まずのれん分けを学んでみては?

 

 

【書評】人生をバラ色に!『不安を、ワクワクに変えよう。』

 

今のご時世、なんとなく不安を感じていませんか?なんだかすっきりしない、なんだか心配、なんだか不安、この「なんだか」って結構曲者で解決法がないんですよね。この著書は、もやっとした不安をワクワクに変えるコツが61個詰まっています。この機会にワクワクする生き方に変えましょう!

この著書で一貫して著者が言っているのは、環境を変えるのではなく自分の考えを変えることによる変化である。例えば「人間関係がしんどい」場合は心地よい人との距離が保たれていないと話している。人と関係を持とうとして人に近づきすぎることにより、気が付かないうちに結果として自分の心地よいスペースを自ら侵襲してしまう自虐的行動をとっているのである。「他人を変えることはできないが自分を変えることをできる」はよく言われることだがまさにこの状況がその通りで、人とソーシャルディスタンスをとることによって人間関係の緊張は緩和されていくのである。

このソーシャルディスタンスという表現をあえて利用しているのもおもしろい。この言葉は今の状況でなかったら出てこなかっただろう。こうやって使うと、ソーシャルディスタンスという言葉自体もよい意味を持つ単語に生まれ変わる。モノをポジティブ、ネガティブどちらで捉えるかは表裏一体であるのだろう。

ポジティブ、ネガティブの話から派生させると、長所・短所、メリット・デメリットの捉え方によっても不安は解消されるのかもしれない。短所やデメリットは一般的であるが、長所・メリットは個人的である。つまり個人的であるがゆえに抽象的であり、個別化され、万人に理解されにくいわけである。良いニュース・悪いニュースも同じだろう。悪いニュースは普遍化され広まっていくが、良いニュースは特例としてカテゴライズされ普遍化されることは稀である。

自分に起こっていることをポジティブ・ネガティブどっちで捉えるかによって、人生は簡単に変わるのである。この著書から不安をワクワクに変える考え方を身に着け、バラ色の人生に変えてみては?!

 

 

【書評】シェークスピア作品が好きになる『シェークスピア「夏の夜の夢」に、なぜ妖精がでてくるのか?「偉いさんのハラハラドキドキ」を楽しむ時代背景があった。』

 

シェークスピアの芝居を一度でも見たことのある人はどれくらいいるのだろうか。前書きで著者は"まるで学芸会のようだと思われたのではないだろうか。シェークスピアの芝居の筋立ては童話のようだし、演技も大げさだから学芸会に思えてしまう"と述べるに留まらず、"退屈を通り越して腹が立ったのではないだろうか"とも述べている。

シェークスピアの作品で魔物や怪物は登場するが、妖精が登場するのは『夏の夜の夢』くらいである。なぜ本作品だけ妖精が出てくるのか?私はシェークスピアという名前と作品名を知っているに過ぎなかったが、この前書きで『夏の夜の夢』ができた背景を知りたくなってきた。

ドタバタ喜劇である『夏の夜の夢』。実は、結婚式の余興として時の権力者がシェークスピアに依頼された物だった。何を演じても馬鹿受けするか、上品にほほ笑むかのどちらかである結婚式の余興、シェークスピアはたっぷりの香辛料となる権力者への皮肉を利かせて招待客が冷や汗をかくのを臨場感として仕掛けたというのだ。
たしかに結婚式の余興と考えるとタブーとされる言葉やシーンがあり、権力者から不興を買うのではないかと招待客だったらハラハラドキドキ不安になりそうである。

シェークスピアは権力者への反抗を、物語をまぶして学芸会のような余興にすることで権力者の怒りを抑えた。かのシェークスピアが宴会の余興に命を懸けたというのはとても興味深い。

絵本のような妖精を登場させることにより、芝居を「絵空事」にして権力者の怒りをまんまと回避したのであった。この一回限りの余興だったからこそ、様々な演出家が試行錯誤を繰り返して新たな臨場感作り出すことに成功して、『夏の夜の夢』や『真夏の夜の夢』として今でも演じられているのであろう。
さてこの書評いかがでしたでしょうか?皆様がたのお目をもしお気に召さずばただ夢を、見たと思ってお許しを。