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堀江貴文イノベーション大学校(通称HIU)公式の書評ブログです。様々なHIUメンバーの書評を毎日更新中。

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ジャーナリズム、かくありなん。『総理』著者 山口敬之(幻冬舎、2016/6/10)

第1次安倍内閣の崩壊と、参院選での大惨敗。
2012年の総裁選再出馬と、復活。
そして、これからの日本について、安倍総理に最も肉薄したジャーナリストの視点から描かれる、濃密な人間ドラマの数々。

今まで、書店で目にする度に「どうせ低俗なプロパガンダ的作品だろう」と読まず嫌いをしていた自分を大いに恥じる程、骨太で魅力的な作品であった。

東日本大震災の瞬間、総理は何を思ったか。
消費税増税を巡って、麻生副総理と、どれ程の激論を交わしたか。
普段わたし達が目にする、耳にするニュースからは得られない、こうした「事実」を伝える本書を「ジャーナリズム」と言わずして、何と呼べば良いのだろう。

わたしは決してこの場で、右だ左だ、賛成だ反対だ、といった議論を展開するつもりは無い。
本来、そんなことは個人個人で考えれば良いのだから。

そんなことよりも、わたしが伝えたいのは「わたしたちは政治について、日本について本気で知ろうとしているのか?」ということだけである。

政治は、わたしたち国民にとっては確かに縁遠いものであり、主体的に考えるのが難しい分野であることは否めない。

ただ、日本という国は「国民主権」であるにも関わらず、多くの国民は、TVやニュース等、いわゆる「フィルター」が幾重にも重なった情報しか得ようとしない、かつ、その限られた情報と個人的感情だけで、政治を判断しようとしてしまうのだが、これは明らかに間違ったスタンスでは無いだろうか。

確かに本書も、著者の「フィルター」が掛かっていることは間違いない。
だがしかし、未だかつて、これ程までに「総理」という人間に肉薄し、ありのままの事実を伝えようとした報道があっただろうか。

「総理」という1人の人間の苦悩や葛藤が、これ程までにはっきりと目に浮かぶ報道こそ、真のジャーナリズムと言うべきでは無いだろうか。

福沢諭吉は、かの有名な『学問のすゝめ』の中で、こう述べている。
「西洋の諺に愚民の上に苛き政府ありとはこの事なり。こは政府の苛きにあらず、愚民の自ら招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。」

つまり、乱暴に訳せば「馬鹿な国民の上には、馬鹿な政府しか生まれない」ということ。

たとえ政治が、どんなに自分の生活とかけ離れているとしても、たとえグローバリズムには興味が無いとしても、わたしたちは自分の頭で考え続けなければいけない。

自由に生きたいと願うのならば、よりよい生活を送りたいと望むのならば、わたしたち一人一人が、今まで以上に主体性を持たなければいけない。

なぜならば、それが「国民主権」の国・日本に生きるわたしたちの義務であり、権利でもあるのだから。